暴力をふるった親を恨み、恋しいとも思う

人から本当に愛される自信がなく、何をしても自分は不充分だと感じる。 
はっきりと理由が見当たらないのに時々無性に腹が立ったり、悲しくなったりして、何事も悲観的に捉える傾向がある。 

私は、これまで自身の生い立ちを人に明かしたことがありません。 
私の人生を幼少期まで遡ると堪らなくなるので、人に訊かれても頑なに口を閉ざしてきました。 
でも、今回ありのままを話そうと思います。 

 
私には両親と3歳違いの弟が居ます。父は昔から重度のアル中&DV野郎で、機嫌が悪ければ私の見てる前で母がよく殴られていました。 
まだ小さかった私は、父の怒号と母の泣き叫ぶ声が恐くて、狭いクローゼットの中に度々隠れたものです…。
暫くして、リビングで倒れている母を心配し側へ駆け寄ると、なぜか今度は私が母に殴られるのです。
確か、私の記憶では「あっちへ行って」とか、「早く寝なさい」みたいなことを言っていた気がします。暴力の食物連鎖ですね… 苦笑 

そんな両親も弟には溺愛ぶりが激しく、「お前は、お兄ちゃんだから」と色々なことを我慢させられました。
保育園の送迎バスはいつも一人で待っていたし、買いものも私だけ車内か自宅で留守番でした。 
ある日、祖母が私を不憫に思ったのか、ゲームボーイを買ってくれたことがあったんです。 
でも何が駄目だったのか、母はゲーム機を壊し、車内でメチャメチャに叩かれました… 苦笑 


あるときは両親が弟をあまりに可愛がるので、嫉妬心から、小学校の登下校時に弟を置き去りにしたりと、意地悪もよくしました。
(それが発覚して、結局は私が怒られるという悪循環… 苦笑) 
そんな感じで思春期には当然のようにグレて、最初は髪を染め、ピアスをするといったことから始まり、ケンカや恐喝をくり返すように。 
頻繁に学校の担任や少年課の刑事が自宅を訪ねて来る度に、問題を起こし補導される度に、迎えに来た両親に向かって「ざまあ 見ろ」と心の中で叫んでいました。 

その後、私は道交法と窃盗でとうとう中等少年院に送致されます。
社会からは隔絶され、分厚いコンクリートで覆われた独房の臭いを今でもはっきり憶えています。
とにかく淋しくて、初めての面会、向かいに座る母の顔を見たとき、突然ボロボロと大粒の涙が流れたんです。母も泣いていました。 

 
社会復帰してからは、自動車整備士を目指して近所のGSで必死に働きました。 
あるとき店の売り上げ金が合わないと言われ、少年院あがりの私がまっ先に疑われ、他の従業員の見てる前で身体検査をされました。
不足は1万円だったと思うのですが、このお金は最後まで見つからず、その後も随分と尾を引いたのです。
潔白なのに、なぜか私は孤立していて性格もひん曲がっていたのか、悪友の誘いもあり、私は再び愚行に走り狂っていきます。 


そして、20代のほとんどを塀の中で過ごすことに…。 
次こそマジメに生きようと改心し、前向きな気持ちで就活しても「あなた逮捕歴あるから」と履歴書を突き返されることが多々ありました。
お世話になった刑事に「反社でも一人前なら立派だけど、お前は半グレどころか3分の1グレだから」とディスられ、久々の実家に帰ればリビングで母が私のことを「交通事故で即死してくれればいいのに」と誰かに語っているのを耳にしてしまったり…。 
仕事が決まらず公園のベンチで夜を明かしたことも。 

もう涙なんか出ません。 因果応報、自業自得なのだから。 
でも、そうした苦境が続くと万有引力の法則ではないけど、リンゴの木からリンゴが落ちるように、塀の中へ舞い戻るのも実に早かったです。 
仕方のないことと判っていても、世間の目とかレッテルは人を陥れる力がありますね。 
世の中が悪意で充満していると信じ、腐った生き方をしていた私の周りからは、当然人が離れ、忠告通り ”一人ぼっち” になった訳です。 


判っています。 
人が生きていれば取り返しのつかないことって沢山あるし、あのときを悔やんでも過去を取り戻すことはできない。 
判っているけど…。 
せめて無力で小さかった私が、体を強張らせ、必死に顔を覆った腕の隙間から覗く暴力という現実を無かったことにできるなら。 
両親はどうして理性を失う程、私を殴り続け、私の心臓を深く抉るような暴言をくり返したのか…。 
私は両親をもの凄く恨んでいるのに、同時に泣きたくなるほど恋しいのです…。

自分でも気付いている、自身の人格破綻。 
衝動的な暴力に走るときだけが、私の鎮痛剤です。 
もう世間と足並みが揃いません。 
それでも、ひとつ断っておきたいのは、過去に受けた仕打ちで自身の犯罪を正当化するつもりは毛頭ありませんし、罪は罪として償うべきと心得ています。 


当時は片親の友人も沢山居て、両親が揃っているだけ恵まれている時代、スパルタ教育がまかり通っていた時代でした。
なにも不幸自慢をしたい訳ではなく、絵本を読んでもらったり、いい思い出もそれなりにあるのです。
今回は感情を吐き出すだけの、構築のない駄文ですみません…。 

少し膿を出せたような気がします。 
お読みいただき、有難うございました。 

 

Salty Dogより 感謝を込めて2025年4月8日 

 

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