刑務所からのポエトリー・3月

 

心について考えてみました

食と心

「一人で食べても家族や大切な人と食べてもごはんの味は同じ」確かに一緒。変わる訳がない。
…でも変わるんだよな~それが。心持ち!?=(イコール)精神状態の変化なのだろう。
刑務所でも、それ瞬間がある。 
私は、社会にいる時から食べ物の好き嫌いが多く、刑務所でも普段は残す物が多いですが、
善い事があった日からしばらくは不思議と味覚が変わったのか?と思うほど、
我慢しているわけではなく、パクパク食べれちゃうんです。 

学と心

拘置所にいる時、資格の勉強をしようと思って簿記の参考書を友人に差入れしてもらったのですが、いざやってみると…
1日に頑張って30分ぐらいしかできないほどにすぐ集中力が切れてしまいます。
何度時間を置いてチャレンジしてもダメ。それから、しばらく諦めていました。 
刑が確定し、刑務所に来てから、職業訓練受ける機会がありました。
その時の学科の授業で、長時間集中して聞くことができました。
そこで、フッと思ったのです。勉強って、1人ではなかなか進まないのに、同じ空間で複数人でやると、進むんです。
私的に何故か?考えました。正解(こたえ)は、近くに同衆がいると、ライバル心=負けず嫌いスイッチが入ってしまうんです。
半分嬉しく、半分嬉しくない結果です。
このままだと、外に(社会)戻って、何かを成せなかった時に環境のせいにしてしまう…
それでは絶対にいけないのは理解できている。
そうならない為に、自分の〝心〟をつくる。

挫折or悲観

何をしてもダメ上手くいかない それでもやり続けなければならない時がある  
何のためにって 目的がわかっていれば まだいいかもしれない…。
でも、それさえわからない時がある。 
それを挫折と思い、悲観するか。
それとも いつか開く扉があると 信じ続け ノブをまわし続けるか、誰でもない自分しか決めれない。 


後悔を楽しむ

本音、真意、心からの誠(まこと)の気持ちが洪水のように口からあふれてきた時「時すでに遅し」そんな時が多い。
それを「後に悔いる。」→後悔。死ぬまで 後悔を繰り返す。
次は後悔しないようにあ~しよう、こ~しようと、いくつかのパターンを考える。
じゃ実際に、その次の場面になったら、考えてた事を忘れてる。
そういう事はないですか? もしくは、覚えてても、後悔する別の方法を選択する。
考えたら、キリがないや。でも、そのキリがない事を考えるのが人生の楽しみ方。
基本的に終わりがこないものというのは辛い事が多い。
マラソン、刑務所生活、仕事、楽しい時間も、ずっと続くと思うと嫌になるものです。
でも例外が人生=生き続ける事。
〝喜怒哀楽〟多くを繰り返し後悔し続ける。
これが終わりが来るとわかってながら、来てほしくないモノNo1。
それだけ後悔する事って愛しいってことですよね。  

罪と罪悪感

私が犯した事件には、複数の被害者がいます。
やった事が悪いことだっていうのはわかっていますし、もうやることはありません。
前に投稿させていただいた「一つ屋根の下」の中に書いたように、言葉では理解できています。 

しかし、心ではできていない部分がある。 
それが何かは誰も教えないでください。
自分で探し当ててこそ大切な何かに近づけると確信しています。
迷惑をかけた被害者よりも、身内に対して悪いという気持ち=罪悪感があります。
それは全て間違っているとは云わない。
でも足りない何かがそこには在るのはわかっている。 

2024/12/31

 

A361さんの投稿

 

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