トモダチ
私には、小学2年頃から親友と思える友人が1人います。
お互い野球が好きで、仲良くなりました。
当然、同じ学校の野球部に入部しました。
ですが、私は当時、今ほど野球が好きではなく、“やってる”ではなく、“やらされてる”、
毎日そういう気持ちの方が強かったのを覚えています。
攻撃では、バッターボックスに立つとピッチャーが投げる球が怖かった。
当たったら痛そうだな。
そう思ってバットを振っても、当たるわけがないのです。
守備では、飛んでくる球が怖くて、腰が引けていました。
特に、1番嫌だったのが、持久走でした。
元々,体力に自信がなかったからです。
部を辞めた1番大きな理由も、それです。
友人はというと、常に部の中心選手で、大学卒業までキッチリ野球を続け、今でも野球を心から好きだという気持ちが伝わってきます。
私が中学の頃、不登校になってから、心配して自宅へ電話をくれたのもこの友人1人だけでした。
部を辞めた私ですが、友人関係をずっと続けられたのは、ひとえに友人の優しい心があったからだと、今は深く理解しています。
私の地元は沖縄で、逮捕される前、友人から「沖縄を出ないでくれ、出れば、また悪さをしてしまう気がする。」
そう言われたのに、私は「大丈夫大丈夫。」と軽く返し、この有様。
ずっと、接見禁止がついていたのと、携帯を逮捕前になくして、連絡がとれなくなっていたが、
身内に頼み連絡先がわかると、鑑定入院先の病院から電話しました。
「約束を破られて、○のことを信用できなくなっている。」
それを言われ、差入れを頼もうと思った自分のバカさ加減に、せっかくの電話なのに、何も言えなくなった。
「…俺にできるのは、○が読みたい本の差入れくらいだ。」
とも言ってもらって、嬉しいが…なおさら何も言えなくなった。
接見禁止が解除され、弁護士から私と文通(手紙)は可能か?と友人に訊いてもらった時、
「家庭があり、忙しいので…」というもので。4ヶ月一方的に、私から手紙を送り続けた。
多い時は1度に50枚くらい。少なくても20枚以上。
それを週に1~2度、ずっと続けた。
想いは届くと信じて、心の扉を叩き続けた。
そして、友人から月2回ほど返信をもらえるようになった。
今、私は心から友人の優しさに感謝したい。
人を信じる大切さを学ばせてもらった。
「一人で食べても家族や大切な人と食べてもごはんの味は同じ」確かに一緒。変わる訳がない。…でも変わるんだよな~それが。心持ち!?=(イコール)精神状態の変化なのだろう。刑務所でも、それ瞬間がある。 私は・・