無期懲役囚・ひとりぼっち

みなさま!こんにちはぁ!A141でおま!常連さんもご新規さんもこれからも宜しくです! 
では暫しの間私の一人語りにお付き合いを。お願いします。 

この原稿を記している今は2024年も半分近くが過ぎた6月中旬です。
私はかれこれ1年を調査・懲罰のループで生かされております。
(訳あって〝工場〟に出れない為、その旨を伝え(刑務所に)ているのですが…イヤガラセ?的にず~っと工場指定をされ…) 
すでに150日以上となり、この先もず~っと続くかと… 

おっと本題からずれました。すみません。 
この様な環境下ということもあり、〝心のつながり〟を考えました。 
(淋しい?)私は結婚も2度して一粒種の娘もおります。身内?も姉、妹(種違い)、弟(前同)、母と現存してます。 
しかし今から20年くらい前に身内は私より別れを告げ、それ以来全てを〝拒否〟して付き合いは一切ありません。
また、一人目の女房と娘とは25年くらい音信不通で、二人目の女房とは無期が確定した20年くらい前に離婚届を勝手に提出してから、一切連絡をしていません。 


私のこうした一連の行動は、「社会への未練を断ち切る」との心からでした。
無期が確定した時点で、私は〝二度と社会の土を踏むことは出来ない〟と考えていた為に、20代半ばと若かったこともあり、「カッコ付け」てこうした言動に及んだのだと思います。(当時はこうは考えていなかったと信じてますが多分心の奥底では…)。 

なので、今私は己ただ一人であり私が死のうと誰一人として(血縁者)私がこの世から消えたという事実は把握できません。
(まぁ~興味すらないでしょうし…) 

これは私が決め歩んだ道(どの様な心理があったとて)であり、今更どうこうするつもりなどはないのですが…
(まぁ~これも一種の強がり?ですがねぇ!でもこの強がりは通したい!これくらいは…) 

ひとは自分のことより他人(ひと)との関係を重んじる傾向が強い!これは多分?真実?真理だと私は思っています。
これは、「この人のため」ならと自己犠牲をいとわないとの心が全てを物語っていると思います。 


例えるなら〝子供のため〟に離婚を踏みとどまったり愛する者の求めに応えようとすることがその一例でしょう。 
そうしたひとが心に居る(存在)のと居ないのとでは、人はまるで違った言動をとるかと私は思うに至りました。 

ひとは一人じゃ~生きられないとよく言われますが、これは物質的なことではなく、「心」の方が大きいように私には感じます。
前述した通り私は一人です!だから己の考え方に従い全てを決め言動に移して生きていけます(死ぬことも然り)、一人ですから、全てを己で引き受けてさえいればそれで済む。(これも強がりの延長?) 

しかし、心に誰かが居れば今の私はありえない。
なぜ私がこう言い切れるかと言えば、私は自分の性格や心のクセをよ~く判っている(見せる見せないは別として)
だから〝たら・れば〟の話で笑われるだろうが…私は〝心〟に愛する者を据えて今の状況を考え、自問自答を繰り返し繰り返し行った結果、その者の心を第一にした言動をする。 

これはその者への私の心がそうすることであり、誰かにそうさせられている訳でもなんでもないからである。
(要するに〝大切なひと〟の考え、意見はきいて「参考」とはするが私がその者への情意によって判断、決定をするという心の動きによって言動に移したにすぎないこと) 
簡単に言うと、愛するひとへの心とその問題や己の欲のどちらが大切で重要なのかぁ?ということに外ならないのである。
これが〝関係性〟ではないだろうかぁ? 


私は今回のこの心の気付きによって、この関係性の重要性にも気付いた。 
その意味に於いても、〝ほんにかえるプロジェクト〟がやっている「文通」支援こそ私達の「心」を支援し、〝ぼっち〟にさせないことによって「更生」に導くためには欠くことの出来ない重要な取り組みの1つである。 
この関係性を知り、そこから「心」を学び、心の変化を感じ少~しずつ自分を変えていくその先にこを「更生」(生きなおし)があると思う。 
誰かのために何かが出来ること!これこそ私達人間に備わった能力の1つであり、自分よりも誰かを優先させられる〝優しさ〟こそが「更生」(生きなおし)の要ではないかと私は思い考える。 

以上 

2024.6.18

心の捉え方 

 

悲しみに暮れ泪を流し 

苦しさに耐え奥歯をグッと咬みしめ 

辛さに全てを投げ出し 

絶望のどん底を味合い 

だからこそあなたは人一倍 

喜びの大切さを 

たのしさの重要性を 

倖せの意味を 

知っている 

あなたの輝きはそこにあり 

その輝きこそあなたの宝である 

Blessing 

日々たのしく暮らしたいと求めたのに 

真のたのしさが判るようにと 苦痛だらけの監獄に入れられ 

 

愛する人と永遠(とわ)に一緒に居たいと求めたのに 

真の愛が判るようにと離れ離れの監獄に入れられ 

 

倖せになりたいと求めたのに 

真の倖せが判るようにと辛い日々の多い監獄に入れられ 

 

大金持ちになりたいと求めたのに 

真の豊かさが判るようにと求めても与えられぬ監獄につながれた 

 

求めには一切応じてくれなかったが 

私の求める全てが偽りのものであり決して私の心を 

満たすことのないものであるとの 

真実の意味を神は私に教えてくれた 

私はこうして神に祝福された 
 

 

A141さんの投稿

 

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