二度とあやまちを犯さぬよう
人は物事を理解したいように〝解釈〟をし、思いたいように〝捉え〟、カタチとして〝作りあげる〟。そして一度〝作りあげた〟ことこそは、完璧で間違いのないものと認識し、中々「崩そう」とはしない。しかしこれは只単なる『おもいこみ』にすぎず、この『おもいこみ』こそが人を過ちへと導くのである。
そしてこの『おもいこみ』は、生まれて育って来た環境や時代の価値観によって刷り込まれたものが殆どであり、自分以外の外的要因で作りあげられたものであり、その中でも〝時代の価値観〟が、色濃く反映されている。
私も〝昭和〟の価値観(常識)が強く身に付いており、そうした『おもいこみ』(価値観)〔弱い人間を助ける等々〕から、今回事件を起こしました。
少し『おもいこみ』について考えてみようと思いますが、〝ウルトラマン〟は正義の味方(誰にとっても)でしょうか?私は、ウルトラマンは正義の味方だと認識して育って来ましたから、疑うことはありませんでした。
しかし私は事件を犯し、色々な人達に出逢い、又、様々な本を読んだりする中で、自分の犯したことについて深く考えるようになりました。その中でとある方に「あなたの事件はウルトラマンと似ている」と言われたことがあります。
どういうことかと言いますと、〝悪い奴〟をやっつけるという目的が正義だと捉えているからです。ウルトラマンは、怪獣(悪い奴)を倒すという正義を遂行するために、怪獣=悪という原因の基となる人への害を、ウルトラマン自らが犯していることを忘れ(建物を破壊したり人をキズつけたりと)、ただ一つの正義こそが「真の正義」であるとばかりに行動をする。
しかし、多面的に捉えると、この世に『絶対的正義』など存在せず、ウルトラマンの言動もウルトラマンの一方的捉え方の正義にほかなりません。そしてウルトラマンは正義の味方というのも、一面からの〝評価〟でしかなく、ウルトラマンによって〝被害を受けた人〟からしたら、ウルトラマンこそが〝悪〟であるのです。
こうして一方向から見た『おもいこみ』で、私達はあらゆることを勝手に〝決め付け〟解釈をし、作り上げ、〝絶対的〟なものと認識しているだけなのです。ウルトラマンの例からも判る通り、私達の価値観は実に片寄った思考によって形成されたテキトーなものでしかなく、そうしたことを〝絶対である〟とすること自体が間違いでしかない。
がしかし、昨今多くの人が「自分の正義」を〝絶対的正義〟だと信じ込み、他者を攻撃したり(もちろん本人は〝正しいこと〟と『おもいこみ』行っている為、〝攻撃〟などという認識はありません)批判したりしている現実がある。
もちろん私は誰かを責める心は毛頭ない!そして、誰かの〝正義〟や発言についてどうこう批判出来る立場にないことは百も承知している。
私は少しでも、自分が犯した過ちを通し深く考えた上で、一人でも同じような過ちを犯さずに済むことや、〝共生〟(ともいき)を進める上で大切な気付きについて思うことなどを、私なりに述べているだけであります。
相手の立場になって考えることは非常に難儀なこと!
がしかし、『自分の考え』は、自分だけ(●●)の〝価値観〟(おもいこみ)であり、一つの側面を捉えたもの、との認識を常に抱いて物事を捉えることは、それ程難しいことではない。そして、そうした思考が身に付けば、そのことが普通(習慣)となり、トラブル(過ち)などを避けることが出来るばかりでなく、〝共生(ともいき)〟にとって大切な『理解や共感』といったあたたか~い心も習慣化されると私は信じてます。
私の私的見解におつきあい下さいまして、ありがとうございました。心より感謝を致します。
又、私の〝生きなおし〟にとって様々な意見はと~っても貴重であり、重要と捉えております。どうぞ、〝忌憚〟のない御意見や感想を頂きたく、心より切に願っております。
又,私の〝生きなおし〟に対する御支援の程賜わりたく、存じ上げます。