私にとって最大の苦しさとは

 私は“無期”である。
それも“無実”とは言わないが、やってもないこと、言ってもないことのみならず“想い”・“考え”さえしていないことを「決めつけ」で認定されての“無期”。 


 でも私にとってはそうした事なんかよりも苦しいことがある。 
前述したことは“間違い”を主張しきちんと自分の犯したことを主張した上で法的に“闘ったり”・“訴えたり”すれば心的にはそれ程でもない。(少なからず私は法を犯したことに間違いはない) 

 
 元々社会に於いて生きていた時、私には妻も子供(娘)も居た。
私が逮捕されたのは26才、娘は4才の頃だった。
それから20数年、私は妻とも娘とも一度として逢ったこともない。
でもそんなことは“自業自得”であり「苦しい」なんて口がさけても言えることではないと自認している。 

 では何がそんなに“苦しい”のかと言うと、夜「眠る」こと!
眠ることというより『夢を観ること』がと~っても辛く苦しいのである。 

 先ず第一に夢に現れる“娘”は離れた頃の4才児のままである。
第二に夢の中で起こる内容が今の現実(刑務所での生活)と違うだけで…
(例えば“車を運転してる”・“女性と居る”・“お菓子を食べてる”・“買い物をしている”・“社会に居る”・“友人と居る”・“知人と話してる”など~)
夢の中で「こんなことは私にはありえない。 私は今刑務所で“無期”を務めている」とフッと浮かんで、そこで目を醒まし現実へと戻る。
そして“死”をも考える程に苦しむ。 

 
 刑務所に於いては“自由の制限を受ける”これは「行動」のことを指すもので“心”(精神)は自由だとよく言われたりおもわれたりしてます。
しかし私だけ?なのかぁどうかぁ?は判りませんが夜眠り夢の中でも私には「自由」なんてものは一切ありません。 

 こうしたことまで判った上で社会は私達を考え見ているのだろうかぁ?
そりゃ~それなりの罪を犯したことに間違いはないし弁明したり言い訳をダラ~と言うつもりもない。 

 ただこの世に生まれた人間が“中年”と呼ばれる“年月”。
こうした状況下に於いて“生かし続ける”ことは人間に対する「残虐的な行為」を禁止している憲法に反しないかぁ?ともおもうし“一層のこと”私を殺してくれないかぁと私はおもってしまう。 

(ちなみに50~60年以上もこの中で国畜として生かされ続けているものもカナリの人数いるのが現状である) 

 意識のある時はまぁ~仕方のないとして(自由への制限)せめて“夢の中”位は自由にしたいとおもう!

2023.4.21


人生100年 

今はさぁ人生100年時代って言うでしょう。 

人は辛く苦しい時にはシクシク(4・9・4・9)って泣くよね。 

でも楽しかったり嬉しい時はハァハァハァ(8・8・8)って笑うでしょう。 

人生も一緒。辛く苦しい時は4×9=36 

楽しく嬉しい時は8×8=64で足すとちょうど100になるんだよ。 

人が生きてる100年の内36年(約3分1)は辛かったり苦しいことがあるけど 

残りの64年(約3分2)楽しかったり嬉しかったり倖せなことってことなんだぁ。 

2023.4.5 

 

A140さんの投稿

 

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