受刑者の私に届く手紙とは

皆さん、元気にしてますか。今年は私が「ほんにかえるPJ」に入会して十年になります。 
先日も、仕事中に庄子さんから手紙が来た告知を受けました。いつもですが、その日は私にとって「良い事があった日」で、早く部屋に戻って読みたい気持ちになります。 
あくまで一般論として、我々受刑者は、社会の人の目からは、不要な存在、関わりたくない存在、そして有害な存在として見られてる筈です。
これは自虐ではない。客観的に考えればそうなります。勿論、私自身は自分がゴミクズだとは思ってませんが。 



しかし、毎回庄子さんやサユリさんの手紙は、なんの偏見もなく、あくまで私を一人の人間として見てくれて、上から目線ではなく、ごく普通の会話をして下さる。おそらく多くの会員諸兄も感じてると思うが、我々にとって、このなにげない「普通の会話」はとてもありがたいものです。
我々は普通の人ではないと分かってる上で、こうして接してくれて、助けてくれたりします。 
庄子さんを始め、今は汪さんはいない中、かえるPJの方達は、どんな気持ちで自分の大事な時間を割いて、手紙を書いてくれているのか。
いつも手に持つその手紙から、私に「ちゃんとした人間になって欲しい」という思い、「力になって上げるよ」という温かさが伝わって来て、嬉しさでいっぱいになります。 


勿論、家族からの励ましや叱り、心配する言葉も私にとって欠けがえのない、とても大切なものです。
かえるPJの皆さんからの手紙も、私に自分をもっと奮い立たせるエネルギーを注入してくれます。 
そして、少しでも「まともな人間」に近付くことが、私にできる皆さんへの唯一の恩返しかな、と考えます。 

 

正直、十年くらい前は、規則破り的な事は日常茶飯事のように、なんのためらいもなく、おもしろおかしくやっていたし、悪い意味で有名人にもなっていました。 しかし、かえるPJに入会して、色々と手紙のやりとりの中で、良い事があったら喜んでくれたり、悪い事があったら慰めてくれたり、段々と自分が変わって来てることが自分でも感じ取れます。 
説教された事は一度もないが、なんとなく諭されてるような気がするのです。 
とくにこの5、6年、自分が今までやっていたことは一体どんな意味があるのか、リスクを犯してまでやることなのか、やらなければ楽しく過ごせないのか、自問するようになりました。 

 
気づけば、行動を慎むようになって来て、多くのくだらない遊び事をやめています。まだ充分とは言えませんが。 
年を重ねた分もあるかも知れませんが、かえるPJから受けた影響というか、言葉にはしてない期待を裏切りたくない気持ちがきっと自分の中で、意識しない内に、形成されたのだと思います。 
それは間違いなく自分を良い方向に導いてくれています。うわべだけの教育より、よほど自分の将来に役立ちます。
そして(大分)真面目にやっても、自分なりに楽しく過ごすことができることにも気づきました。 


これもかえるPJから、「手紙」という形の心の支援のおかげです。 
手紙は、ただの連絡の方法だけではなく、相手の気持ちを汲み取ることによって、自分は本当はなにを求めているのか、今の自分の選択は果たして正しいのか、真剣に考えるようになり、少しずつ目を覚ますこともできます。 
その手紙のありがたみを、是非会員の皆さんにも意識して感じてみて欲しいです。 

 

A22さんの投稿

 

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