27年間の収容生活を経て
収容生活27年を過ぎまして、年を取って、さすがに考え方は若い時と比べたら、多少は成長したのかな、と思う反面、意外(?)と性格は変わらないものだなあ、と思ったりもします。昔嫌っていた物事は、今でも相変わらず嫌いですし、10年、20年経っても、付き合っている人の色も以前と同じ。年を取っても、私は結局ヤンチャな人が好きのようです。類は友を呼ぶと言うから、くっついてくる若者を見てると、「俺も根は同じだな」と思わされます。
昔は、話を聞いてくれる若い人に、「俺は人にとって鏡のような人間になりたい」と言ったことがあります。それは、相手が私の自分に対する接し方を見れば、自分が他人にどう接してるのかを知る、という意味です。礼儀正しい人には、私は礼儀正しく接するし、他人に横柄な態度をとる人には、私はそれ以上にぞんざいになります。そして、裏で弱い者いじめする人には、どうにかしていじめてやりたい。ですが、今はちょっと変わってきました。もう人の鏡にはなりません。親しい人には、いつも通り付き合いますし、相談相手にもなりますが、親しくない人には、一律に礼儀正しく接するように心かけています。嫌いであれば尚更意識します。変わらないものがあるとしたら、自分の周りの人には、和平で、揉め事なく穏やかに過ごして欲しい気持ちです。自分の犯した罪と関連づけして考えたことはないけど、結局私みたいな奴は、他人の痛みを顧る思いやりが欠けているから、何も考えずに、抵抗感もなく、他人様に手を出してしまいます。
自分を変えるには、まず人への思いやりを学び、人の痛みを理解することです。喧嘩があったら、肉体的であれ、精神的であれ、殴った方も、殴られた方も痛みを負います。それが理解できれば、自分の行動は自ずと決まります。十年前なら、まだ虚栄心が強くて、仲々素直に他人に頭を下げることができなかったが、今なら、自分のためにも、友人のためにも、喧嘩を止められるなら、いくらでも頭を下げます。そこは正しく年を取ったかな、と感じるところです。だが、客観的に見て、たとえ今それができても、刑務所という大きな波のない特殊な環境の中での事で、もし一般社会に出て、日々様々な出来事があって、皆がその日の生活に追われていて、身も心も余裕がなくなった時に、その気持ちを保てられるかと問われたら、答えを持っていないです。社会に対する敵意何て元々毛頭持ってませんが、自分のことをなんとかしてくれるのは、自分しかいないとは思っていました。だから、意識してなくても、自分の事以外、他人の事は頭にもなかったのだと思います。
しかし、ムショ生活して、家族や友人の存在の大きさが思い知らされました。私が今どうにか生活できてるのは、家族や友達が支えてくれてるからです。酷い事をしたにもかかわらず、何かあれば、励まして、助けてくれます。今母が末期のガンを患って、高齢のため、手術もできず、更に病名も兄弟に伏せられて、知らずにいます。その報らせを受け、どう覚悟を決めるか、心が嵐に襲われています。親の愛を受けて過ごした日々を思い返し、つくづく親不孝を尽した己れの不甲斐なさが恥ずかしくて叫びたくなります。今親が人生の終点を迎えようとしているのに、自分はなにもしてあげられず、会う事すらも叶わないのは、自分の犯した罪への罰ですから、もうどうすることもできません。今まで母に流させた涙は、全て自分の心の痛みとして、これからの人生を共にしていきます。そして、今の自分より以上の痛みを与えてしまった被害者方がいることも、決して忘れる事はありません。直接謝罪する機会を頂けないので、心の中で申し訳ない気持ちを持ち続けます。
ムショ生活を経験したことのある方なら分かりますが、なかで「更生」について話し合うことは滅多にないです。会話は大抵くだらない笑い話や経験談とか、どうでもいいものばかりです。だからといって、皆何も考えてないわけではありません。ただ、ムショの中ではほぼ誰も本音を語らないだけです(もちろん、極稀に友人ができることもありますが)。再犯率をよく報じられますが、確実に更生して、二度と犯罪をしない人のほうが多いです。出所してから、それぞれ置かれる環境の違いや、運の有無はあるでしょうが、本人の決心次第です。これは出てからではなく、受刑期間中にちゃんと計画を立てて、考えて、学んでの結果です。自分の場合、出れるかどうかも分からないけど、希望は捨てていません。その原動力は、出てから、今まで支えてくれた人達に面と向かってきちんとお礼を言いたいのと、被害者の墓前に線香を捧げたい思いです。そして、今は会えない友人に再び会うのも、今の自分のささやかな楽しみでもあります。加っちゃんに、待っててください、また語り合いましょうと伝えてほしい。互いにジジイになっても、私は友達を忘れませんから。
単調で変化のない生活とは言え、一日一日、それなりに出来事があって、午後4時になれば、その日に「。」を打つことになり、やってくる明日は決して今日と全く一緒にはなりません。楽しんではいけない立場だとよく言われますが、それでも毎日楽しみを探したり、作ったりする自分がいます。それが多分今の自分にとっての「生きる」なのかも知れません。
出れるまで、あと5年か、10年か、私には分かりませんが、出てからどんな事ができるか、どう生活していくかについては、もちろん考えてます。家族に頼るより、なんとか自分の手で、自分の頭で立ちたい。自分の年令を考えれば、できる事は限られています。以前にも書いたが、ずっと自分なりの投資法を研究して来て、やっとここ二年間、検証とある程度の実験を重ねて、それなりの成果と自信もつきました。檻の中にいる今は、自力だけでは何もできません。無力感はありますが、諦めずに検証を続けていきます。若しこの手紙が人の目に触れることがあれば、興味ある人は、協力できる人は連絡して下さい(笑)。
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