初犯長期刑務所ライフ・Vol.2
今年の10月で、受刑生活が満30年になりました。
とうとう娑婆で過ごした時間よりも、刑務所での方が長くなりました。
変化もなく、同じような毎日を送ってるせいか、振り返ってみても、記憶に残るような事が少なく、到底「ここで30年も過ごした」感覚がなくて、過ぎていった十年はあっという間のように感じるが、目の前の一年は意外と長い、という奇妙な感覚に捉われます。
私が入所し立ての頃は、無期の人でも、行状が普通であれば、17年くらいで仮出所ができ、有期の人は大体5分の一程度の仮釈を貰えました。
それを目処に、希望を持って過ごす人も多かったと思います。
それが、5年後には20年になり、10年後には25年になって、今では35年以上でも出れない人がゴロゴロいます。
「おまえも古株になったね」と言われたが、数えてみたら、私達の工場でも、私より長くいる人は10人もいて、工場の約5分の一です。
30年前は、刑務所の厳しさは今の比ではなく、毎日文字通り、ビクビクして過ごしていました。
新入教育期間(約二週間)、諸動作を仕込まれるが、軍隊式で整列してる時に、「横に爪先を揃えろっ!」と怒鳴られながら、爪先を蹴っ飛ばされる事もありました。
こっちは足の指が出てるスリッパ、むこうはブーツ。その痛みは、さすがに今もって忘れられません。
睨むものなら、なにをされるか分かりません。のちに、我慢できずに職員に手を上げた愚か者がどんな目に合ったのかを、先輩達から聞いて、その時堪えたのが本当によかったと、つくづく思いました。
なにしろ、まだ保護房(今もあるけど)と拘束具が多用される時代だから、さらに職員を殴った人なら、特別な、ここでは書けないような“指導”もあったりします。
何があっても、何を言われても、返事は「はい、分かりました」しか許されません。
それ以外は「担当抗弁」という罪で懲罰行きになる。
同じ工場に、担当に10分以上叱責されて、ずっと我慢したが、最後に「わかったか!」と訊かれ、「はい、分かりましたよ」と答えてしまって、「なんだ、そのよは!」、結局そのまま取り調べ、懲罰になった人がいて、皆が同情していました。
また、減点制度が当時あって、作業中も生活上も、気を抜いて、小さなルール違反は減点対象になります。
たとえば作業中の無断交談、脇見、見つかれば減点1点、言いわけしたら減点2点といった感じで、一回減点されると、その月の報奨金は1割カットされ、更にその月は作業割増も貰えなくなります。
私は新入の年に、よく分からなかったのと、要領が悪いのとで、1年で十数回の減点を喰らいました。
最たるは、作業場(靴作りのミシン場)で隣の人が道具を借りたいと、ジェスチャーを送って来たから、貸してやったところを見られて、無断交談だ、と言われて、「いや、一言も喋ってないです」と弁解したら、「意思疎通ができたろ、この野郎!」と怒られて、そのまま減点1点、ムチャクチャだな、と思いました。
またある時、作業に集中していて、職員がどこからともなく、スーッと来て横に立ったから、思わず顔を上げて見てしまいました。
「なに見てんだよ。脇見、減点1点」。トラップを仕かけてんのかよ、と思いました。
今になって、そういうのは全部笑い話になってますが、当時は本当に毎日戦々兢々でした。
勿論、有期で、満期上等の諸兄、或いは無期で投げやりになってる方は、そんな理不尽を我慢する事なく、堂々と抗弁して、工場と懲罰房を行ったり来たりして、我が道を行くとばかりに、受刑生活を別の意味での修業の場としていました。
そうなると、官も彼らに対してどうする事もできなくて、逆に「アイツはいいんだ、しょうがないんだ」と、少々の事では放っておくのでした。
そういう〝元気のいい人〟は、今ではかなり減りました。
刑務所側も、少しずつではありますが、様々な面で変わって来てはいます。
少なくとも昔のように、すぐ怒鳴り散らすような職員は、一部以外、あまり見かけなくなりました。
ある職員の話では、「我々も変えようとしてるんだよ」と。多分それは本当だと思います。まだ十分ではありませんが。
しかし、職員さんも人間である以上、性格も人格もそれぞれですから、中にはS気の強い人がいても、なんら不思議はないでしょう。
千刑だけなのかどうか分かりませんが、最近2~3年に入った新人職員では、事務的に仕事をこなしてる感じで、受刑者を思い切り見下すような言動を採る方は殆どいないのは、多くの受刑者が感じてるところだと思います。
この状況が続けば、受刑者VS職員という対立構図が改善される筈です。
本来は、職員は決して受刑者の〝敵〟ではないのですが、一部の〝厳しい〟で知られていたある職員に、十数年前に調書を巻かれた事があって、その時彼は私の個人ファイルを見て、開口一番「なんだ、おまえ、無期か。へぇ~、楽しみだなあ~」と言った。
その楽しみとは何を指してるのか、分からない人はいないでしょう。
これからかわいがってやるよ、と一緒だから。マンガではないです。
万事こんな感じですから、相当受刑者から恨みを買っていました。
定年退職になったと知って、多くの人がホッと胸を撫で下ろしたはずです。
締めつけだけでは更生に資しない事は、高い再犯率からも分かります。
日本は保守的な国で、先進国と標榜しながらも、刑務所の運用面に関しては、とても他の先進国と比べようがありません。
国民がそれ(厳罰)を支持してる以上は、大きな改善は望めそうもありません。
刑務所の中で、娯楽が少なすぎて、共同室(雑居房)でも囲碁、将棋しか置いてありません。
しかも、それを利用して、別の遊びをしてはいけない。それでも人々は色々工夫して、職員の目を盗んで、遊んだりします。
以前同工場で囲碁の石を使って、麻雀大会をやって、一部屋4人全員上げられた事もありました。
随分アホだなあ、とは思いました。あんな風に4人集まってれば、気づかれないわけがないだろう。
又、特に正月など、特食でお菓子が出る時に、賭け将棋をやる人も結構います。
私はやらない。全く意味がないと思ったから。そもそもお菓子という大事なものを賭けてやるのですから、お互いに相手とは棋力が伯仲してると認識できてるはずで、やれば勝ったり負けたりする。
結局は自分の菓子を食べてるのと同じではないか。そんな理由を分かってる上で、人々は遊びたいがために、よくやります。
それだけ生活が退屈で刺激が少ないです。
時間はあるけど、全ての人が勉強意欲があるわけではなく、毎日壁を向いて反省するだけで生きればいいというわけでもありません。
本を沢山読みたいとしても、皆が皆、それを買えるお金があるとはかぎらない。
家族や友人、或いはかえるPJのような頼れる所を持たない人は、毎月4冊しか買えないから、すぐ終わってしまいます。
施設側がもう少し規制を緩めて、室内で出来ることを増やして、余暇時間をもう少し楽しく過ごせるようにすれば、心が和み、他人と接するのが苦手な人でも、コミュニケーションを取る機会が増えて、揉め事が減るのではないかと思うのだが。
一受刑者として、罪を犯して、被害者に多大な苦痛を与えた以上は、反省し、誤った価値観、人生観を正していく必要がある。
一方で、生かされて、生きていく資格を頂いたからには、どう目の前の一日一日をより自分にとって〝楽しい〟と感じられるように生きるか、私は反省に劣らないくらい大事だと思っています。
ポジティブに、自分の〝生〟をも送れない人に、他人への思い遣りなどできる筈がない。
刑務所という特殊な環境の中で、自分にとって、真の意味でのプラスになる事など少ないし、多くの場合、努力してもどうにもならないが、冒さなくても良い、必要のないリスクを回避し、気持ちの自己管理をきちんとできるようにして、日々の中に転がっている小さな楽しみを拾っていけば、きっと一日が終った時に、「まあまあ良い一日だったな」と思えるようになります。
今はそれを信じて、実践していって、習慣づけていく事が、私にとって、自己改善の一つです。
A22さんの投稿
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今年の10月で、受刑生活が満30年になりました。とうとう娑婆で過ごした時間よりも、刑務所での方が長くなりました。変化もなく、同じような毎日を送ってるせいか、振り返ってみても、記憶に残るような事が少な・・