獄中小説・獄楽 Vol.1

 

 これだけ生活環境が悪いというのに、俺はまったく苦痛を感じていない。
なぜなら、共同室の煩わしい人間関係から暫く解放されているからだ。
共同室なら今ごろ、〈NHKのど自慢〉のラジオを聴きながら、今週のチャンピオンを当てる賭けごとに付き合わされてすいるに違いない。 

そういえば、俺はいつから〈共同室〉なんて言葉を、何の躊いもなく口にできるようになったのだろうか。
「どうせアレだろ、、、全国にあるこの施設をさぁ、少しでもクリーンなイメージに塗り替えようと、国が必死こいて考え抜いた方策なんじゃねぇの」と、仲間たちと嘲笑っていたはずなのに、、、。 

〈共同室〉のことは〈雑居〉と、従来の呼び方を変えずに言ってたはずなのに、、、。
これじゃあ〈スパゲティ〉のことを〈パスタ〉と羞じらうことなく、ちょっとオシャレに言えるようになったのと一緒じゃねぇかよ。
そもそも、名称を変更することに何の意味があるって言うんだ?所詮、ここはムショだぞ。 

 
 今から20年ほどまえ、名古屋刑務所の刑務官が受刑者に暴行を加えて死亡させた事件があった。
それをきっかけに百年続いた監獄法が見直され、2005年に改正、その翌年には施行された。
が、また同じ名古屋刑務所で同じような暴行事件が起きた。まっ、こんなのはどこでもあるだろうけどな。 

2006年のいわゆる〈新法〉では、仕事や人間関係の構築などのスキルを学習させることに重点をおき、俺たち受刑者の社会復帰を重視したものとなった。
が、受刑者側にその主旨説明があるはずもなく、所内生活の心得という、まぁ、ルールブックの中身が一新されたに過ぎなかった。 

17年まえ、俺たちは新たな幕明けに大きな期待を寄せた。
それまで親族か身元引受人しか手紙のやりとりや面会ができなかったが、友人や知人もOKとなった。
しかし、〈反社〉や、〈更生の妨げとなる者〉は不許可だ。
施設によってその基準は違うようだが、それでも以前よりは全然マシになった。 

運動や入浴の回数も増えた。
それと居室内で所持できる本の冊数も、それまでの3冊から、私物保管限度内であれば制限されなくなった。
どれぐらいの量がいけるかというと、、、俺たち受刑者に人気のあるマンガ「キングダム」と、「ワンピース」がギリギリ全刊いけるかなって量だけど、、、分かりやすいだろ? 

 〈新法〉は受刑者に対する処遇を根源から見直したものだが、それと併行して進められたのが名称の変更だ。
〈検身所〉が〈更衣室〉、〈賞与金〉が〈報奨金〉など数々あるが、その中身は17年経っても変わっていない。
ダークなイメージを一掃したつもりだろうか?いや、明確化しただけなのかな? 

〈新法〉のハード面は整備されたが、ソフトの面はまだまだだ。
俺の居室のテレビは国産一流メーカーの21インチのものだが、BSやCSはアンテナが接続されていないので映らない。
居室の掃除は箒と塵取り、、、暑さを凌ぐための手段は団扇、、、そして入浴のない日は〈行水〉みたいなことを今だにやっている。 

年2回、半年ごとに進級の査定がある。
懲罰行為を犯したり、成績が悪いと、菓子が買えなくなったり、手紙の発信や面会できる回数が減ったりする。
まっ、俺たちは目のまえに人参をぶら下げられているのだ。
この獄中で規則を守る意識を植え付けさせ、社会復帰させるってことなんだろうけど、、、違くね? 

そのガイドラインとかって、どうせ、東大出身のお役人さんが考えたことなんだろ?
俺には理解できねぇけど、アレかなぁ、、、東大生 はマンションの購入や帝国ホテルでの食事、JRの、、、といった恩恵を受けられるから、頑張ったらちゃんと見返りがありますよって、そこからパクった発想かもしれねぇな。 

旧態依然のものと、必要に迫られて近代化したものとが、何の違和感もなく同じ空間に存在するのは、この長期刑務所の特徴のひとつだ。
んん?待てよ、、、俺はここに来てから2、3年の間、不易流行という言葉では片付けられない不思議な空間に、違和感を覚えていたはずだ。
地獄も住拠?なるほど、それか。 


 ここは10年以上の刑を打たれた人が収容されるムショだ。
俺が入所したとき、20年以上務めている強者がゴロゴロいた。
今もっとも長い人は50年。その人は〈JR〉のことを〈国鉄〉、〈NTT〉を〈電電公社〉と今だに言っている。
吸ってたタバコは〈ゴールデンバット〉って、、、何だそれ、洋モクか? 

〈ゴールデンバット〉を吸ってた中田さんは85歳。今、この人をパチンコ屋に連れて行ったら確実に心臓麻痺を起こすだろうな、、、って、待てよ、、、この俺もだな。未決を含めて獄中30年、、、スマホはもちろん、ケータイすら触れたことがない。
これじゃあ中田さんのことを笑えねぇよな。浦島太郎ってやつだ。 

俺は新入りのころ、中田さんみたいな大先輩に「長いですねぇ、大変ですねぇ」と声をかけていた。
大半の人は「いやいや、慣れたらねぇ、この獄中なんて楽ですよ」と相好を崩し、笑い声の変わりに入歯をカタカタ鳴らしていた。
そこには、かつて世間を震撼させた凶悪犯の面影は一切なかった。 

大先輩たちが謙遜した上、こんな俺みたいな新入に気を遣ってくれたことを当時の俺は感謝した。
あれから20年、、、俺もあのころの大先輩たちと同じ立場になった。
当時俺が感じた大先輩たちの謙遜は、単なる俺の勘違いだった。
大先輩たちの言ってたことは、すべて真実だったからだ。 

 

 最近、よく新入たちから労いの言葉をかけられる。
俺が大先輩たちにそうしていたようにだ。
そのたびに俺は、大先輩たちが口にした台詞をそいつらに返している。
彼らは俺のことを優しい先輩だと思っているに違いない。
その彼らも、いつか俺と同じように、それが真実だと分かる日が訪れるだろう。 

俺が今いる工場は、いわゆる〈モタ工場〉だ。
半年まえ、梅雨の時季に懲罰をくらい、それまで5年いた金属工場から移された。
40人中30人以上が65歳以上の高齢者だが、このムショでは75歳を過ぎてから初めて周囲からその扱いを受ける。
まだ〈現役〉で〈抜く〉老人が多いこと多いこと、、、。 

「ジンさん、今度の転室はまた単独室を希望ですか?」と昼休憩にユウジから声をかけられた。
こいつは工場で最年少だ。とは言っても今年31歳。
務めてまだ4年目かな?身長180センチ、体重80キロで超極悪顔。
何かにつけて俺の世話をしてくれるが、俺はまだ55歳。こいつより腕相撲は強いんだが。 

ユウジみたいな若い奴は共同室にぶち込んで年寄りの世話をさせるに限る。
居室内とトイレの掃除はもちろんだが、残飯処理をさせるためだ。
残飯を出すと意外と金がかかるらしいから、年寄り連中が食わない物を若い奴らに食わせてやる。
合理的だろ?でも、職員にバレたら懲罰だけどな。 

言うまでもなく、ユウジが俺に世話を焼くのは年寄り連中にそうするのとは意味合いが異なる。
ひとことで言うと礼儀正しい。訊けば〈反社〉に属していたらしい。
礼儀を知らない者が増えて〈時代〉を感じていた俺は、ユウジが可愛いくてしかたない。
なんだろ、、、俺も歳をとったってことなのかな。 

 

 おぉ、そうだった、、、「転室なぁ、、、そりゃ単独室を希望すっけど、、、」ユウジにそう応じると、
「そうっすかぁ」と肩をおとす。どうよ、可愛気があるだろう?
「何だ、俺と一緒になりたい理由でもあんのか?」と振ってみる。
「いやね、中田さんの昔の写真を見てほしくて、、、」って、めっちゃ気になるじゃねぇか! 

 ユウジとは今、中田さんと同じ居室で生活している。
「昔の写真とかないの?」ユウジは中田さんのボケ防止になればと思い、昔の写真を一緒に見ながら、あぁでもない、こうでもないと中田さんの記憶を蘇えらせていたらしい。
50年以上前の中田さんは〈アイビー〉というファッションで決めていたとか。 

「俺にはそのアイビーとかっていうのはよく分かんないんすけどね」とユウジが前振りして、
「ただねジンさん、ジンさんは時計に詳しいから分かると思うんすけど、、、
写真のアレ、、、絶対デイトナのビックレッドっすよ」と、、、。
何と中田さん、今もそれを〈領置〉しているらしい。おいおい、マジかよ。 

〈領置〉とはムショの中で使用できない物を保管してもらうことを言うのだが、、、。
「でも50年も経ってんだろう?」俺の言わんとすることを瞬時に理解したユウジが、
「いやいやいやジンさん、オーバーホールの代金なんて屁みたいなもんでしょ」
いやいやいやユウジ、俺はコレクター目線で言ってんだぞ。 

ペンネーム楠 友仁

中田さんの領置したデイトナが気になるジンとユウジ・・獄中小説・獄楽 Vol.2につづく

 

A348さんの投稿

 

※メールでいただきましたコメントは公開いたしません。

Previous
Previous

獄中小説・獄楽 Vol.2

Next
Next

塀の中から競馬予想1月号 - 小倉競馬場 -