※お読みになる方へ、不快な思いをされる場合がございます。ご注意ください。
事件の陰の功労者? 怠慢職員の下で起きた奇跡!! 刑務所内の全く同じ場所で、2ヶ月連続で凶悪事件!?
今回は私が千葉刑務所内で事件を起こした際に所属していた工場の担当職員について書いてみます。なお、被害者についてはAと表します。
この工場担当は今和7年3月に私の居た工場の担当になりました。その後すぐ、Aが私に暴言を言われたから私を懲罰にしてくれと工場担当に泣きついたため、Aが私を嫌っていたことを工場担当は把握しています。
令和7年4月に、Aは反則行為をして工場から居なくなりましたが、同年5月に再び同じ工場に戻ってきました。
その際、工場担当は私とAが揉める可能性が高いことを理解していたにも拘らず、あえてAを私と同じ居室に指定しました。
当時工場担当と話をしていた受刑者の話によると、「懲役が揉めた方が面白いだろ」などと言って笑っていたそうです。
その場に居た複数の受刑者がその話を聞いています。
令和7年6月下旬、私が就寝時間に飲むために、湯飲みに汲みおいている水の中に3夜連続して異物が混入されるということがありました。
最初の日は、朝の起床の号令と共に、湯飲みの中の水を全て飲んでしまいました。
飲んだ際に舌が痺れるような感覚があったため、はっきりと違和感を感じました。後になって知ったのですが、混入されていたのはトイレブラシを洗浄する際に使用したポリデントの廃液だったようです。そして、呆れることにAは3夜連続して犯行を行っていました。
3日目の深夜、私は犯行途中のAを現認することができました。私はAに問い正しましたが、Aは終始無言でした。
私が何度か尋ねたところ、私達とは離れた場所で寝ていたAの親分である悪党のFが、「うるせえよ! 夜中に騒ぐんじゃねぇ!!」と言ってきました。
AはFの指示によりこの悪事を行っていました。この件で反則行為の調査になった場合はFの指示だということがバレてしまう恐れがあるため、強引にその場をごまかす必要があったのです。
私は悪質なやつらだなとは思いましたが、この陰湿な行為があったことを理由に悪党達と別の居室に変えてもらうように申し出ることもできると考えたので、特に不満はありませんでした。
週が明けて工場担当にその話をしたのですが、何らの対応もありませんでした。
一応記録を残しておくための仕込みとして処遇部門に相談願という願箋(申請書)を提出したのですが、聞きおくというだけの実質的な一蹴でした。
今和7年6月25日深夜、私は何かを破いているような音で目を覚ましました。
横を見ると、横で寝ているはずのAがおらず、その先にあるトイレの中でAが何かを破いているようでした。
薬物混入の悪事がばれてから3日しか経っていないにも拘らず、再び私に対して被害をもたらそうとしたようです。本当に執拗な人達です。
後からAに聞いたところによると、私から盗んだ何通かの手紙や、私に気付かれないように私のマンガの本から数ページ破りとっていたものなどを、細かく破ってトイレに流していたようです。しかし、犯行時点ではAとFが協力してしらばっくれるので、どうにも埓が明きません。
この事についても、私は工場担当に話をした上で処遇部門に相談願を提出したのですが、何の対応もありませんでした。
工場担当も処遇部門の職員も「受刑者は勝手に揉めろ」というスタンスのようでした。
当時、他の居室でも問題が起きていたため、私とその居室の者を入れ替えれば2つの共同室の問題が簡単に解決するという話もしたのですが、工場担当は一切耳を貸そうとしません。自身は受刑者なんかより偉い立場なんだから、受刑者の言うことなんか聞く必要は無いと考える工場担当も少なくないですが、勘違いなどせずにこの時に少しでも考慮していれば、奇跡のような一連の事件が起こることはありませんでした。
今和7年7月9日、その日は入浴があったため早めに居室でくつろいでいたところ、何かを殴っているような音が聴こえてきました。
Aが私達の向かいのD室を見たところ、F一派のYという受刑者が同室の75歳の老人を殴りつけ、老人の頭から血が流れているということでした。
途中で巡回職員が現れYを見つけるや、やめるように指示したのですが、Yは止められる前にけりをつけようと思ったのか、制止の指示後すぐに用意していたボールペンを手にして老人を何度も刺したようです。
3人部屋だったのですが、止めようとしたもう一人の受刑者もYに刺されています。それなりに凄惨な事件でした。
私が居た工場では殺人未遂事件として話のネタになりました。事件としては暴行傷害に止(とど)まるのでしょうが、後日工場に戻ってきた老人は、「殺されるかと思った」と言っていました。
※参考記事/読売新聞「同部屋の受刑者の頭をペンで突き刺し水筒で殴ったか…1か月半後には別の受刑者が水筒で殴って他の受刑者を殺害した疑い」
令和7年7月22日、Fが新型コロナウイルスに感染し、私が居た居室から居なくなりました。
すると、Aはここぞとばかりに私に「Fと縁を切りたい」と言ってきました。そして、Aが工場担当にも必死に泣きついたことにより、当時C室で生活をしていた私達3人はFが戻ってくる前に向かいのD室に移動することになりました。
Aはとても喜んでいました。Fが工場に戻ってきた際、最初はAはFと距離を取ろうと頑張っていましたが、工場での休憩時間がFと同じテーブルのままであったため、結局AはFに取り込まれ、再びFに従うようになりました。
そして、一度Fを裏切ったことにより、AはFからより強い圧を掛けられるようになりました。
これは工場担当がはっきりと悪いです。せっかく居室を別にしてあげたのですから、面倒がらずに休憩時間のテーブルも別にするべきでした。
その後、Yと同室だった受刑者が工場に戻ってくることなどにより、私の居た工場の共同室の人数が少しずつ増えていきました。
刑務所の共同室では、人数が増え居室が狭くなるほど受刑者が揉める可能性が増すため、人数をうまく調整して共同室の人数をできるだけ均すのがセオリーです。 ところが、工場担当は私達が揉めることを期待したのか、私達の居室だけ不自然に過剰収容の状態にされました。
下表は、和7年8月における工場の共同室の人数です。
8月7日
A室 B室 C室 D室 E室 F室
3人 4人 1人 4人 4人 4人
8月8日(1人増える)
A室 B室 C室 D室 E室 F室
3人 4人 1人 5人 4人 4人
8月8日に1人増えたのですが、共同室の中には1人部屋や3人部屋があるのですから、5人部屋ができてしまうことはいくらでも回避することができます。
ましてや夏の暑い時期でもあるため、ほとんど嫌がらせのような5人部屋です。
ここで、4人部屋のときと5人部屋のときの居室の状況、及び私とAの生活場所を示します。
工場担当職員は「5人部屋は普通のこと」だと言い張りますが、図からも分かるように明らかに窮屈な状態であるため、避けられるのであれば避けようとするのが普通の考えです。
5人部屋になると、日中は基本的に自身が座っている位置からほとんど動けずに生活することになります。
就寝時は布団を敷いた面積の分多少は動けるゆとりができますが、その反面、畳の部分がほとんどなくなることにより過剰収容感はさらに増すことになります。 もし4人部屋のままであったなら、私は離れた位置で寝ているAを殺すことなどできませんでした。
移動する際に他の受刑者に気付かれてしまうことを考えれば、そのような中で私の体が動くことはできないだろうと思います。
そのため、そもそも私がAを殺そうと考えることすらなかったと思います。
また、言い方は悪いですが、逆ギレ老人、都合良くボケる老人、精神障害、知能障害、当時の私の居室はクソ部屋と呼ばれるようなかなりの面子がぶっ込まれたような部屋でした。
過剰収容に加え、まともに話も通じないような人達との生活に強いストレスを感じていました。
それまでの受刑生活において溜まっていた不満もあり、現状の生活もつまらないし「もういいかな」と思って昨年の事件を起こしました。
現在の刑事施設に関する法律において、刑務官には、「規律や秩序の維持として、被収容者の安全かつ平穏な共同生活を維持すべき責務」があります。
私は居室の問題について工場担当に何度か話しており、施設に対しても3度ほど相談願を提出しています。
それらを職員が無視し続けたことにより昨年の事件が起きたということになれば、工場担当や処遇部門に対しての責任問題が生じると思って事件を起こしたという側面もあります。「そんなに揉めさせたいのなら、あんたらの望み通り揉めてやるよ」という気持ちですね。
実際、捜査機関の人達も刑務官にあるまじき工場担当の一連の対応について少し呆れているようでした。
事件における取調べの供述調書を読みましたが、工場担当は決して加害者でないにも拘らず、中々に検察官に追及されていました。
それに対する工場担当の言い訳が苦しいこと苦しいこと。
私は、今回の事件を起こせたことは工場担当のお陰だと本当に思っています。
居室の環境などにより急激にストレスを溜めさせてくれ、事件を起こすほどの水準まで意思を高めてくれたこともそうですが、嫌がらせのような5人部屋にされた結果、私とAがかなりの至近距離で寝るような状況になったことが一番大きいと思っています。
ここまで読んで気が付いた方もいるかもしれませんが、Yによる暴行傷害事件も私の事件も同じD室で起きています。
もっと言えば、同じ居室の全く同じ場所です。
刑務所はある意味受刑者の安全が守られている場所だとも言え、外の人達が思っているほど物理的なケンカでさえそこまで起こりません。
そのような刑務所において、2ヶ月連続して全く同じ場所で凶器を用いた暴行傷害事件と殺人事件が起きたことは、もはや奇跡と言うしかありません。
私の事件は私が工場担当の嫌がらせを逆用したというだけであるため、私の情状酌量を求めるために工場担当のせいにする気は一切ありません。
ただ、私の罪や刑罰の重さとは別の問題で、工場担当には刑務所内で凶悪な犯罪を起こさせてしまった責任は問われるべきだろうと思います。
そして、刑務所内の記録においても工場担当の怠慢を示すものも十分にあります。
先に少し書きましたが、令和7年6月頃に私とYの居室を変えるだけで両方の事件は簡単に防ぐこともできました。
何より、7月にそれなりに凶悪な事件が起きたにも拘らず、施設は工場担当をそのまま続投させ、工場担当は工場担当でその後も一切スタンスを変えることなく、受刑者間で揉め事が起きることを防ごうとしなかったことにとても驚きます。
さらに私の事件も起き、明らかに刑務官としての失態を犯しているような職員を、今年も平然と工場担当職員として配属している千葉刑務所の判断には驚くしかありません。
今和8年6月1日


事件の陰の功労者? 怠慢職員の下で起きた奇跡!! 刑務所内の全く同じ場所で、2ヶ月連続で凶悪事件!? 今回は私が千葉刑務所内で事件を起こした際に所属していた工場の担当職員について書いてみます。なお、被・・