勝手に撮影を続ける看守VS受刑者@熊本刑務所

昨年(令和5年)の年末に、所内放送で受刑者に向けて、「近年の名古屋刑務所における職員による受刑者への”暴行殺人事件“を鑑(かんが)みて、これから当所では、あなた達受刑者のことを、これまで名前を呼びすてで読んでいたトコロを改めて、今後は名前を呼ぶ時は〇〇さんと言うことにします。 それに伴い、職員は上下関係を想像させる命令口調なども改めて、上下の関係を無くするように心掛けてゆきます。(緊急の場合をのぞく) 
また、上下関係を連想するような『先生』などと呼ぶことも止めて、これからは『担当さん』『職員さん』と言うように努めてください。」と、この様な告知報送が、11月末にありました。 


それから約半年が過ぎ、初めはぎこちなかった職員も、工場で我々が手を挙げて離席の許可や、トイレの許可を求める時に、 
「〇〇さん」と呼ぶようになったのですが、今だに、受刑者を「さん付け」で呼ぶのが悔しいのか、指を差し、「用件」などとごまかす職員さんが、10人中3~4人はいます。 
まあ、それはもう、後は時間や慣れの問題なので、構いません、当人(職員)の問題なので。 


その後の話です。 
同じ年末に、私の工場(独居)の者は、空室を埋める為、まとめて(8~9人)1階から2階に引っ越しをしたトコロ、夜勤巡回職員が、何やら首からぶら下げているので、私が、夜8時に決められた薬をもらう際に

「オヤジ、それ何?カメラ?」と問うと、 
「これ?うん、ビデオカメラ」と平気な顔で答えました。 

「何?今撮影しとると?」とまた聞くと、 
「うん、そう」と。 

「ご免、気持ち悪いけん、やめてくれる?」と私。 
「仕方ないやん、上の指示やから」と…。絶句しました。 

よく見ると、大きさはちょうど昔のポケベル程度の物で、上に集音マイク、下に1cm程度のレンズで、縦は7cm~8cm、横は4~5cm位です。 
それから私達は、夜間と祝祭日の昼の間は、首からビデオカメラをぶら下げた巡回職員に、部屋の中を常に撮影されています。 


皆さんは、どう思われますか? 
私は、約4か月程経った頃に、工場でもたまに話をする、顔見知りの若い職員に尋ねました。
「何で、オレらを写すと?それ、話に依ると、名古屋刑務所の事件を防ぐ為に、付けとるそうやないですか?そんなら殺人事件を起こしたのは職員やから、オレらを写さんで、オヤッさんらを写すのが筋でしょう。見廻りの廊下にカメラを付けるとか、何でオレらの部屋もそうやけど、オレの顔やら、便所も(独居は用便器が向き出しで、窓の方に設置されている)する所を、何で無断で写されにゃいかん訳?悪質な覗き行為と一緒やん」
と一気にまくし立てました。

すると、その職員は、「仕方ないやん。オレらは上から言われたら、はい分りましたって言うだけやけん」と。 
私は、「なら、名古屋の件の繰り返しやんね。上から殺せって言われたら、殺すと?イジメろって言われたら、イジメる訳?そんなんヤクザと一緒やん。自分の意見ないと?自分はそんな人の日常生活をビデオカメラで盗撮するような、ヒレツな真似はしたくありませんって、思わんと?」と言いました。
すると向こうは何も言いませんでした。 

 
◎懲役刑 

 ・自由刑のひとつ。罪人を刑務所内に拘置し、 「一定の労役に服させるもの」 

◎労役 

 ・骨の折れる肉体労働。(強制的労働について言うことが多い) 

◎肖像権 

 ・自分の顔や姿を無断で撮影されたり、絵に描かれたり公表されたりすることを、拒否できる権利。人格権と財産権の側面の両面で考えられている。 

◎人格権 

 ・私権のひとつ。各人の存在や人格に付随する利益に関する権利。生命、人体、自由、名誉、プライバシー、肖像、などに関する権利を指す。 

◎私権 

私人同士の間において、私法上の関係で発生する権利。(民法では、私権は個人の出生とともに、個人が有するものとする。) 

尚、民法では、「私権の享有(きょうゆう)と用い、権利能力にあたる。われわれ自然人は、すべて“生れることによって権利能力を取得し、死ぬことによってのみそれを失います。」とある。 

自然人と、法人、又は、私権に対しては、公権というものがあるが、それは我々を支配し、統括する国家が、我々に対し、例えば「税金を払いなさい」と請求する権利のようなもの。⦅この場合(撮影権など)ではない。⦆ 

◎財産権 

 ・その人の所有物として、何らかの金銭的価値を主張出来る権利。所有権、財産権、物権、債権、無体財産権など。 

◎無体財産権 

私権のひとつ。発明、考案や創作など、知的財産物の利益を支配できる権利。特許権、実用新案件。
意匠権、商標権や著作権などを指す。知的財産権、知的所有権。 

 

先程も述べたように、我々は懲役(労役)刑であり、撮影刑ではありません。
つまり、24時間強制労働刑、ではない、と言うこと。  

1日の内の、決められた労働時間を定められた通りに労役に努めれば、その他の時間は(余暇時間内)は、定められた規則さえ守っているのであれば、ラジオを聞いたり、舎房は寝てもいいし、本を読んでも良いし、物を書いたり、描いても自由なのです。
部屋の施設の規則を守ってさえいれば、何をしてても自由で、それを撮影などされる言われはないのです。そう、思います。 

手紙に「悪口は書くな」とか「建物の構造はかくな」とか、制限はある物の、それ以外なら良いのです。  

この文章、このリポートを読まれている、塀の内、外の皆さん。
身体の自由は奪われても、心の自由は絶対に尊厳されなければならないのではないのでしょうか? 

室内では、大便もすれば、鼻もほじるし、着替えもします。
全てをさらけ出さなければ、いけませんか?仮にそうだとしても、それを、その瞬間を、逐一ビデオカメラに収められなければ、ならないのですか? 

プリズンライターズ・リポートを閲覧している有識者の皆さん。又、普通にお過ごしの方。
司法を志していらっしゃる、学生の皆さん。どう、思われますか? 

 
我々は、諸栓、犯罪者です。 
法を犯した受刑者です。それは間違いありません。 
だけど、だからと言って、何から何まで 官職が自由にして良いとは思えません。
所有権もあれば、人間としての誇りも恥じらいもあります。 

納税の義務は考慮され、選挙権さえありませんが、本や日用品、雑貨を買うと、ちゃんと消費税は取られます。
外で会社を営なむ経営者は確定申告も。
私達は、毎日休むことなく工場へ出てしっかりと、定められたお努めを果たしています。
少なくとも今この時だけは法を犯していずに、贖罪(しょくざい)の日を重ねています。 

民法でも、刑法においても、必要とあらば、裁判を受くる権利も、又、起こす権利(訴訟を)も、当然あります。 

姿や形、そしてその生活空間や人への手紙(住所)や、描いた物(絵)や趣味、趣向など(トイレ、用便中も含め)それを、断りもなく撮影することは、許されないと思います。
私は先日「肖像権を主張します。撮影を拒否します」と言うと
「それがどうした?」「受刑者に肖像権はない」的な言葉を言われました。 

先日(令和6年6月始め頃)、当初の所長に対する苦情の面接を行いました。
すると後日、施設側としての返答では「当所では、違法な行為はしていないので、この件は不採択とする」と言う一言だけでした。 

皆さんは、どう思われますか? ご報告、感想を待ってます。
終り 


2024年8月10日

 

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