何故、人として生まれて来たのか❓

人は生まれた環境によって、恵まれている者と恵まれていない者とで、超不公平な人生をスタートさせなければならないのだが、大多数の者が考えたことがあるのではないだろうか? 
私の場合、無期懲役囚として長い受刑生活を、刑務所という最低な場所で送らなければならないような大きな事件を犯すために、人間として生まれて来たのかと、後悔してもしきれず、納得できなすぎてずっと納得できる答えを探しまくってきた。 

我々人間が生活しているこの世(現世)で起きる事象(結果)には、すべて原因(理由)があって結果として起きているということは、少し考えれば納得できることだと思うが、この先を書く前に説明が必要だと思うので、少し脱線して説明させて頂く。 


私たち人間(生命体)の本質は肉体(物体)で、肉体が死ねば終わりで何も残らないと思い込んでいる者が少なくないと思うが、肉体は魂が宿るための器(入れ物)でしかなく、本質である魂とは別物であるということは、大昔の紀元前から現代まで続く仏教でも始祖(開祖)の釈迦(ゴーダマ・シッダールタという釈迦族の王子)が悟りを開いて解脱(輪廻転生という生まれ変わりのサイクルから外れ涅槃に入ること)したことにならい、全世界の僧侶たちが修行しているし、紀元ごろから現代まで続くキリスト教でもイエスの復活(死後の生き返り)にならい、イエスの元に生まれ変われるように全世界の信徒は祈り続けている。 

更に現代と言っても少し前だが、アメリカのロバート・モンローという人が、魂が肉体から離れる体外離脱などの研究をするために、モンロー研究所という施設を創設して、体外離脱を誘発するヘミシングという手法を開発し、全世界から沢山の一般人がお金を支払ってまで、モンロー研究所のセミナーに参加して、多くの参加者が体外離脱して死後探索(死後の世界での活動)を体験している事実からも、肉体と魂は別物で私たちは何度も生まれ変わってるということを理解して頂いた上で話を戻すが、人間が物事を思い考えているのは肉体の一部である脳細胞で、魂ではないことに気付いて頂けただろうか? 

輪廻を繰り返してきた魂が人間として生まれて来る訳だが、肉体の成長につれ脳細胞に自我が芽生え確立され、それが自分の本質だと思い込み人生を送ることになり、人間に生まれて来た目的を見失ったまま人生を終えてしまう人が大半で、輪廻のサイクルから逃れることがとても難しいというのが実情なのだろう。 

釈迦のように悟りを開いて解脱することが、すべての魂の最終目的なのかどうかは判然としないが、輪廻を繰り返す理由としては、いろんな経験を重ねることで足りないものを補い、満たされようと魂が求めているからだということは間違いないだろう。 
つまり沢山の経験を重ね魂が満たされれば、生まれ変わる必要がなくなり、輪廻のサイクルから逃れられるのではないかという結論に到達したのだが、私はこれだけでは納得できていない。 
というのは、魂が満たされ輪廻のサイクルから逃れることができたかどうかは死んで肉体が失ってからでないと解らないからだ。 


もし魂が満たされていなかった場合、また現世に生まれて来なければいけなくなる訳だが、たとえ、どんなに恵まれた人生になるとしても、私はもう、この現世に生まれて来たくない。
日本の国家予算は約百二十兆円だが、その一億倍の百二十垓円を所有し、全世界の国を企業と国民付きで買収でき、買えないものはなく何不自由することはない人生だろうが、だとしても、もう生まれて来たくないのだ。 
もしかしたら、無期懲役囚になり、人生を台無しにするような大きな事件を犯したことで、魂が満たされたのかも知れない。 
現世では明らかに悪事になるが、それを判断しているのは魂ではなく物体の脳細胞なのだから・・・・。 


令和六年一月一日 

 

A212さんの投稿

 

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