罪の償いとは・被害者の心情等伝達制度を受けて
私は現在徳島刑務所(LB=累犯長期)に服役する少年無期受刑者であり、今年で17年目に入った。
来年には社会を離れて20年が経つことを思えば、月日の長さと罪の重さを痛感する次第だ。
さて、皆さんは刑務所に次のような制度があることを御存じだろうか?「刑の執行段階等における被害者等の心情等の聴取・伝達制度」というものだ。
以下は「所内生活の手引」から抜粋したものを記する。
“あなたが刑を言い渡される理由となった犯罪により被害を受けた方がいる場合、その被害者の方等から申出があれば、職員が被害に関する心情や被害を受けられた方の置かれている状況、その他あなたの所内での生活や行動に関する意見を伺う制度があります。また、被害者の方等の希望があれば、その内容をあなたに伝達します。さらに被害者の方等が希望すれば、あなたに被害者の方等の心情等を伝達した際、伝達された心情等について述べたこと、被害弁償や謝罪について述べたこと、被害者の方等に伝えることを希望して述べたことについて、被害者の方等に通知することもあります。なお、被害者の方等が、この制度の利用を申し出ているかどうかについては、質問されても答えることはできません”と明記されている。
2025年1月15日の午後、私はこの伝達を受けた。今回はそれを受けた私が感じたことを率直に述べてみたいと思う。
この伝達は口頭で行われる為、全てを一言一句違わず覚えておくことは不可能である。
受刑者の更生と、自らの罪を常に再認識させられる様に、遺族(私の被害者は亡くなっている)が述べた心情を印刷して本人へ渡す方が良いと私は思うのだが、残念ながらそれは敵わないようだ。
第一審の時に「犯人を死刑にして下さい。それが無理なら一生刑務所に閉じ込めて出さないで欲しい」と言われたことを鮮明に記憶していた為、今回の伝達もかなり厳しいことを言われると覚悟して臨んだ。
しかし、20年近く経っているからなのか、私への強い恨みや憎しみよりも、遺族が今も抱え続ける悲しみと痛み、そして癒えることのない心の傷を強く感じる内容だった。
当然ながら私の生活に対する手厳しい指摘も受けた。私は懲罰を何度か受けていることが、遺族には反省もせずに不真面目に生活していると映るらしい。
しかし、刑務所の実態は中に入った者にしか分からない。
必ずしも「懲罰」=「不真面目に生活していて反省していない」という訳では決してない。
今の刑務所は「監禁施設」であり、残念ながら「更生施設」ではない。
このことを社会に居る一般人は知らないのだ。更生は自らが求める以外にはない。
そうした実情の中、私は多くの啓発本を読み、自ら蒙を啓いて生き直しを図ってきたつもりであったが、結果的に遺族に何を言われても仕方がない立場の私は、どのように言われようとも甘受して更なる努力をする他はないと思い至った。
そして被害弁償についても言及された。私は民事裁判において、遺族が望み、求める通りにして欲しいと主張した為、今回の事件で1億円弱の支払いをしなければならなくなり、差し押さえによる形で有していた領置金を全て渡すこととなった。
少年の頃に事件を起こした私には当然ながら財産などは無く、今も1円の領置金も無い。
この支払に関しては既に10年が(時効)経過している為、もう支払う義務も無いが、そもそも支払うことなど不可能だ。
「いつか必ず支払います」「少しずつでも支払います」などと遺族に対して気休めの様な嘘はつけない。
それこそ不誠実だからだ。謝罪の言葉さえ言えない現実もある。それが何故か皆さんは知っているだろうか?
“刑務所が被害者や遺族に対して直接手紙を出させない”からだ。
確かにセンシティブな問題であることは理解するが、その実は何かトラブルや問題が生じた際に、その手紙を出させたことを刑務所側が咎められたくないからに他ならない。私はそう解釈している。
私は何度も謝罪をしたいと思い、行動しようとしてきた訳だが、また今回の伝達の際にも 「弁護士を雇え」と言われた。
結局は金が無ければ謝罪も出来ないのだ…当然ながら遺族は謝罪さえして来ないと思って当たり前だ。
何もしないのではなく、何も出来ないのだ。自分では何もさせてもらえない。線香代は疎か手紙1通も出せない。
何も出来ないことが苦しい…これも罪を負ったことの苦しさのうちの1つなのだろうか。
だがこれが今の私の現状なのだ…伝達の際に言われて苦しかったこと、驚いたことがある。
それは第一審で死刑が無理なら一生刑務所に閉じ込めて欲しいと言った人が、「被害者が残り生きたであろう40年は刑務所に居て欲しい」と言ったことだ。遺族の態度が時と共に少し軟化している様に感じた時、私は有り難さよりも戸惑いや恐れに近い感情に包まれた。
私に対する憎悪が、尽きることも冷めることも生涯ないと思っていたからだ。
私は恵まれた境遇で育った訳ではない故に、真の愛や友情というものを知らず、私の心がそれを感じたことは残念ながら無い。
それ故に私が遺族の苦しみや本当の痛みを感じ、理解することは正直とても難しく、失う痛みを分かれないことも苦しく思う。
だからこそ許されることの方が苦しくて恐く、憎悪される方が理解できるが故に納得も出来るのだ。
これは工場担当から聞いた話だが、ある国では遺族が犯人と面会し、その犯人を抱き締めるらしい。
そして「つらかったですね。こんなことをしなければいけないくらい苦しかったのですね」と言うらしいのだ。
私はこの話を聞いた時、とても驚きながらあり得ないと思った。
これは恐らく究極の“赦し”であろう。それと同時に犯人に心というものがあるなら、これ以上ない十字架を負うこととなる。
私なら負った十字架の重さに押し潰されるのは間違いない。苦しみ続けるだろう。
来年で事件から20年が経つが、当時は泥酔していた為に記憶も断片的でしかなく、人を殺めた感触さえ無かった。
それ故に人を殺めたと頭では分かっていても、その現実に心がまったく判っていなかった。
当時の私は狂人に等しかった様に思う。しかしながら受刑生活の中で啓発本を含め多くの本を読み、自らの心を養い、体を鍛える日々のもたらすものは大きく、狂人も常人と成った。
自らがまともな人間に成るに従い、犯した罪について深く考える様になる。
それ故に私の場合は遺族の心情とは逆に、時が経つほど犯した罪が鮮明且つ大きく見えて来るのだ。
だからこそこの日々がもどかしくて苦しい。謝罪も出来ず、朝から夜まで働いて被害弁償をすることも出来ない。
仮に40年務めて社会に戻るとすれば、それこそ自らが生きることに精一杯で何も出来ないでのはないかと思う。
いっそ遺族に獄死してくれと言われる方が楽な気がする。
だがこの苦悩こそが罪を犯した証しであり、私が罪と向き合い健全と更生の道を歩んでいる証しだと信じていたい。
罪の償いとは何だろうか?それこそ人それぞれの答えがあるだろうし、答えが無いことも答えの1つだろう。
私はこれからも苦悩し続ける。苦悩の中で希望を抱くことに人生の意味があるだろうし、犯した罪から人と成り、これからの私がどの様に生き、何を為して何と成るかに、奪った命への償いと救いがある気がする。そう思うのだ。
毎日出来ることを出来る限りやる。100点の日々は無理かもしれないが、100%の自分で全てに臨む。
これが今の私に出来ることだ。それ以外には何も無い。精一杯で生きてみる。
それが命に対する誠実さだ。償いもそこから始まるだろう。
また同じ様に伝達があるかどうかは分からない。
だが、もし次もあるならば、今日よりも成長した穢れなき自分で向き合いたいと思った。
そして被害者の冥福と遺族の多幸を衷心より祈りたい。
2025/5/30
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私は現在徳島刑務所(LB=累犯長期)に服役する少年無期受刑者であり、今年で17年目に入った。来年には社会を離れて20年が経つことを思えば、月日の長さと罪の重さを痛感する次第だ。 さて、皆さんは刑務所に・・