償いとは

私は尊い人命を奪ってしまい、無期刑となり受刑生活を送っています。 

事件当初から刑務所入所後の数年までは、自分の事しか考えておらず自己中心的な考えしか持っていませんでした。 

しかし色々な人の話を聞いたり、沢山の本を読んだりしているうちに、自分の愚かさと間違い、思い違いに気付き、亡くなられた被害者や御遺族、私の為に苦悩を与えられてしまった家族の事を考える様になりました。 

どの様な事があっても尊い人命を奪ってしまう事は許される事ではなく、亡くなった方の無念と、御遺族の気持ちを考えると、胸が張り裂けそうになります。 

もし自分が遺族であったならばと、立場を逆にして考えると加害者の事は無期刑になったとしても絶対に赦す事はできず何とかして仇を取ってやろうと思うはずです。 

また、自分たちは罪を犯していないにも関わらず、身内の者が罪を犯した為に、社会から責められ続け、周囲からも好奇の目に晒され苦悩と困難な生活を余儀なくされた家族のことを思うと、やはり憎み、恨み、絶対に赦すことは出来ないと思います。 

それに刑務所にて受刑生活を送っている事は、自分の行為に対する罰であり、当然の報いですから決して償いではないと思っています。 

この様な事を考えている内に私の様な人間は、社会復帰する事は絶対に許してはいけないし、獄死するのが当たり前だとの考えに至り、私は刑務所から出ず、刑務所の中で反省と悔い改めを繰り返しながら、残りの日々を祈りと共に送っていこうと決意したものの果たしてそれが正しいか否か分かりません。 

償いの事を考えると、どの様な事をどの様にすれば良いかも全く分からず、ずっとずっと考え続けています。 

その様な事も踏まえ、一生を刑務所で送り、償う事もせずに生きていくのは間違った考えなのか、とも思ってもいます。 

答えは、しばらく出そうにありません。 

これからも考え続ける義務が私には、あります。

 

A140さんの投稿

 

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