自己の破滅につながるストレスや、または尊厳、精神を救いだしているといえるのではないでしょうか…
サービスを利用してみての感想があまり集まらない、と書かれていましたので、私が思います本質的なこと、その部分を述べさせていただきます。
PJと受刑者の関係は、ある意味、契約上の取引関係といえます。その規約の範囲内であれば、気おくれすることなく、種々のサービスを利用することができます。これは世間一般では当然の感覚ですが、この感覚自体が受刑者にとってはありえないことです。
例えば、親族、近親者等々、どんなに気のおけない相手でも、何かを頼むとき、多少なりとも、負い目や気まずさを感じます。
それを受ける相手側も、どんなに良好な関係であっても、時間、労力、資金を喪失することの不満を溜めていきます。
つまり、依頼する側もされる側も少なからずストレスを感じています。
それはだんだんと、受刑者と、社会生活者との間で、温度差、認識の相違がでてきて、齟齬や乖離が両者の関係性を破棄したり、そのきっかけとなることがあります。
したがって、どんなに気のおけない相手でも、良好な関係を維持する秘訣は、極力、何も頼まないということが最も有効なのです。
しかし、それでは受刑者のストレスは溜まる一方となり、別のところでトラブルとなりえます。そ
こでPJが絶大な力となるのです。先述した通り、個人と法人間の通常取引という形式となっているため、特殊な状況下がうみだすストレスが発生しないのです。
PJのサービスは多岐にわたり、全てを上げればキリがないほどですが、その本質は、受刑者が、取り返しのつかないような、自己の破滅につながるストレスや、または尊厳、精神を救いだしているといえるのではないでしょうか。多少大げさになってしまいましたが、私にとっては、PJとはそういう存在です。