「怒羅権と私」を読んで
お盆休みに、読もうと思い、刑務所で注文をする[私費購入分・書籍本]にて、汪様の本、購入をし(怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生/彩図社)を、改めて精読させて頂きました。
私は、両親共に日本人であるので、恐らくは純粋な日本人だと思います。東京の杉並区で生まれ、三多摩地区で育ちました。
しかし、私は子供の頃から何故か、日本人の行動がとても嫌いであり、又、団体行動も嫌いで、特に日本人特有の(右に倣えの習慣と、同調圧力、陰湿なイジメや、在日外国人に対する差別傾向、)には小学生の頃の時代から辟易とした日々を過ごしていました。
大人達、学校の先生までもが、これらの悪習は平素より当たり前の如く行われていた時代でした。
汪様の、この本を読み進めている内に、約35年前、当時の日本の問題点を有り々と、思い出させられました。
私の、小学校、中学校には、直接残留孤児の方はいませんでしたが、三多摩地区という事もあり、在日韓国人2世の子や在日中国人の子供達はかなり多く暮らしている所でした。
同級生達は、この在日の子供達を差別し、日本人同士の輪(サークル)を作り、仲間外れにしていましたが、私は何故か時に、在日の子供達との方が、話も合い、感覚(フィーリング)がよく合ったので、いつも在日の子達の中に入っていました。
今でも、よく覚えているのが、同級生の在日韓国人2世の金田君の家に遊びに行った際に、金田君のお母さんが、「あなた(オッパア)、日本人なのにうちの子と遊んでくれて、有難う!」と涙をこぼして泣いてくれました。
金田君の家は、ボロボロの平屋で裸電球一つしか無く、いつも出されるのは白湯しかありませんでしたので、自然的行動により、私の家にある歌舞伎揚げやアルファベットチョコのファミリーパックの袋を盗んで持って行き、金田君の妹とお母さんとで食べていました。
うちの母親も多分、気づいていたのだと思いますが、よく多めに菓子類の袋が用意されていたのだと思います。
小学校、中学校といつも私の周りには、在日の子供達が一緒にいました。
15~17才頃には、私もヤンチャになり過ぎて、本職のヤクザ者にさらわれた際に、日本人の仲間は皆逃げたのに、在日中国人と韓国人の仲間達は、組事務所迄、青龍刀の様な武器をもって助けに来てくれました。
その時は、余りの迫力にヤクザ側が本気で、「仲間を大切にしろよ」と云いながらも、引いていた事を私はその時、肌で感じていました。
そして、20歳になり、歌舞伎町を根城にする頃になっても、いつも私の周りには彼等がいて、事ある度に、幾度も命拾いをしてくれました。
本文中にもありますが、「怒羅権が誕生したきっかけは、いじめに対する抵抗であり、又、自然発生的な助け合いから生まれた」事である。
この事は、私は正に身を以て彼等から教わりました。
しかし、私は幼少期から、群れる事が苦手でしたので、集団が嫌いで、彼等の[集]との付き合いはせずに、[個]としての付き合いをしていました。
本文中に、汪様節で、「私なら、そいつの両目をえぐり、目玉を食わせます…」と、ありましたが、私の付き合いのあった、府中・調布・京王多摩川辺りの在日の方達は、本当に割り箸一本で、目玉をえぐる人達でした。(食わせ、まではしていなかったかと…汗。)
又、「怒羅権は家族であり、その家族が苦難に見舞われれば助け合う」ともありましたが、本当にその絆の結束の固さは、非常に強固なのは間違いありません。
そして本書では「なぜいじめは生まれるのか」、と汪様は問い、「日本社会では、協調性という大義名分のもとに、少数派に対する迫害が正当化されて、いじめをする者が、いじめられる者を指差して、「この人の、こういうところが皆に迷惑をかけている」と訴えれば、周囲の者は大抵が頷いてしまう事が、いじめを許容する結果になっている…」とあります。
正に、その通りであり、刑務所の中でも同じ。刑務所の職員が職員同士(・・)での、いじめ同種事案を行っている姿ですら、私達は毎日のように目にしている位です。又、(「反省します」は気安い言葉である)、とありますが、私も同意見です。
犯罪は、悪い事だと分かっていて、腹を括ってした事なのに、「反省します」は、偽善の言葉であり、軽過ぎる、それならば「犯罪を起こさない様な、生活習慣をする」事こそが、本当の解だと私は、思います。
「仮釈放」を、一日でも多く貰える様にと、「反省」の言葉を求めてきますが、だから上辺だけの反省の言葉で出所して行き、再犯で戻って来る事が恒常化する。
そして、「犯罪者の更生支援の活動を続け、対話を繰り返し、少しでも犯罪の犠牲になる人々、そして犯罪に手を染めてしまう人々が少なくなるように、努力をするしかない」と、締め括られています。
私は、この本を読んで「受刑者も、汪様も、私も、結局は、社会的弱者である事に、変わりない」と思いました。
同じ、苦しみをする人達を増やさない為には、サードプレイス(三つの助け、①共助 ②公助 ③自助)の場を、提供し第三者同士が教え、助け合う事が大切であると。
改めて、ほんにかえるプロジェクト様の道義的意義の重要さを考え至る事となりました。

