熊本刑務所にて、人権とは❓

私は、熊本刑務所(以下「当局」)収容中の者だ。
2016年1月29日、当局第11工場内器具庫付近で担当の村八(仮名)に対し言った「人権救済申立書の発送に願箋(刑事施設内で何らかの権利の行使時に必要なもの)が必要です。」という旨の申告が侮辱として調査に付された。
私は上述の発言はしたものの、ただちに村八の面前を離れ、自らの作業席であるタッカー班へ足を引きずりながら直行し、タッカー班の班長であるMへ器具3点を手渡した。その私の背中越しに村八が大声で語気鋭く「今言わんでもいいやねえか。俺を侮辱するのか。」等と喚き散らしていたが、私が村八を侮辱したなどの事実はない。

刑事収容施設及び被収容者の処遇に関する法律(以下「新法」又は「法」)及び被収容者の処遇に関する規則(以下「規則」)第150条において、刑事施設の長は被収者が遵守事項もしくは……また74条第3項の規定に基づき、刑事施設の職員が行った指示に従わなかった場合には、その被収容者に懲罰を科することができる旨定めている。
また法第154条5項において、反則行為の隔離の期間は二週間とする。ただし、刑事施設の長はやむを得ない事由がある時は二週間に限り、その期間を延長することできるとされている。

当局は容疑事実の”侮辱”を維持した上で、調査期間を二週間延長した。
懲罰審査会直前の同年2月22日、容疑事実を”侮辱”から「指示違反」に変更し、同月24日、私は村八、川野(仮名)、尻穴(仮名)、仲村(仮名)などの虚構により、15日の違法な懲罰を科された。私が村八から注意、指導、指示など受けた事実もない。

私は熊本地検に村八などを特別公務員暴行陵虐、公務員職権濫用等で告訴状を送付したが、同地検は何らの説明もなく告訴状を私に返戻した。
私は最高検察庁へ告訴状を再送付し、ようやく受理されたが、嫌疑不十分で不起訴とされた。
2016年4月、私は同種の凶行を繰り返させないため、東京地裁へ提訴した。
当局に訴状を却下させる目的で送付先から返戻された小為替、印紙、切手などを差入と称して私の訴訟救助の取消し申立書をなし、同地裁は当局の虚偽の申立を鵜呑みにし、私の訴訟救助を取り消す決定をした。
私は直ちに同決定は失当である旨の即時抗告をし、同高裁の裁判長裁判官は私の主張を認め、同地裁の決定を取り消し、私に訴訟上の救助を付与した。

その後当局は事件を東京地裁から熊本地裁への移送申立をしたが、私には熊本に信頼できる弁護士がいないこと、東京には多くの知人弁護士がいることから断固として拒否したが、同地裁は事件を熊本地裁に移送する旨の決定をした。
その後当局は訴状に対する反論等一切せず専ら、日弁連、熊本県弁護士会、監獄人権センター(以下「CPR」)、法テラス本部及び同佐賀、救援連絡センター(以下「QC」)、熊本中央区役所、警察庁、法務省(局を含む)、矯正管区、領事館、福岡高裁、板井優弁護士、西嶋勝彦弁護士(2024年1/7永眠・袴田巖さん弁護団)、安田好弘弁護士、八尋光秀弁護士、知人などへ送付しては返戻を繰り返した殆ど同一の小為替、印紙、切手、現金まで、当局はそれらが、書信表で送付相手先からの返戻されたものと把握していながら、あたかもこれらのものが差入されたかのように作出した結果、2016年からおよそ30件近くの訴状が却下された。

私は畏友の桜兼一(仮名)氏(以下「兄弟」)に2008年200万円の借金があり、その借金を終えないまま事情を詳説し、訴訟費用の借金(融資)を依頼し、2020年から月5000円~2万円の借金をし、ようやく2020年4月「令和2年(ワ)第434号国家賠償請求事件」と立件され、3年以上の審理を経てなされた判決は、一部全面勝訴、一部部分的勝訴、その余は却下ないし棄却という不当判決だった。
この10年以上に亘り、兄弟は物心面で惜しみない支援をしてくれた。そんな支援が実を結んだのか、「令和5年(ネ)第527号国家賠償請求控訴事件」で、福岡高裁第5民事部又係が300万、231万、100万、80万、50万などの訴えの拡張分について訴訟上の援助を付与してくれた。
当局の虚偽の申立(訴訟救助付与の取消し申立書)を却下した。当局は私が訴状を提出する度、「資力を問わず、日用品等全て支給ないし貸与している」「指名医診療以外は全て国費で賄う…」などと豪語するので、私は、支給願いと題する願箋を提出し、便箋、封筒、綿棒、コルセット、ボールペン替芯、でんち、サポーターなどの支給を求めたが、「願意に取り計らわない」「国費による入歯作製願い」と題する願箋も提出したが、「願意に取り計らわない」とされた。
その写しを書証として提出した。すべての出来事は前向きに考えればチャンスとなるが、後ろ向きに考えればピンチとなる。
どんな過酷な現実の最中にいても、そこに希望の光を点してくれたのが兄弟だ。兄弟の支えがあったればこそ、ピンチであろうが、チャンスであろうが、すべての問題が私には輝いて見えた。

2024年2月20日兄弟が面会に来てくれた。手を伸ばせば兄弟を抱き締めることができる目の前に、1枚のガラスがある。
満面の笑みで逢いに来てくれた兄弟が、”早く帰って来てくれんと”と叱られた。私には返す言葉もなかった。
このガラスが、私の犯した罪と共に私の前にある。この1枚のガラスがなくなるその日まで、私は兄弟の弟として恥じない生き方をしたい。
我々を更生・矯正させる立場にある刑務官が、不祥事隠蔽のため捏造してまで懲罰を科すなど言語道断だ。
高度な倫理が要求される国家公務員にあるまじき所業だ。 

日本は1952年の対日平和条約において「世界人権宣言の目的を達成するために努力」(前文)する意思を表明した。いうまでもなく日本国憲法(1947〔昭和22〕年施行)は、基本的人権尊重を(11条)を掲げ、これを「永久不可侵」のものとし、「日本が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」(98条2項)と誓った。獄中では残念ながら、法56条(社会水準の医療)が行われていない。松井広志さんはその結果若くして急逝された。私の部屋に彼の遺品となった便りが通数ある。一日も早く、憲法・法律が適切になされるよう願わずにはいられない。彼の冥福を祈りながら… 


2026年3月20日 

 

A347さんの投稿

 

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