無期懲役囚・心の叫び
九州のLB刑務所で無期刑として12年目がスタートして今だに3類です。今は洋裁工場にて作業をしています。
心挫けそうになった事多々ありました。
でも私などの苦しみよりもっと被害者の方は苦しみ、時を奪ってしまった。
そんな事を考えると私の苦しみなど高が知れている。
私は、旅行中の女性を殺害し現金を奪った事で強盗殺人などの罪に問われ判決は無期懲役でした。
はじめはなぜ無期なのだと思っていました。「これはなぜ死刑ではなかったのか」と云う意味です。
私は、公判中粗暴な行動をしていたので死刑が妥当だと思っていました。死刑でしかこの罪は償えないのではと思っていました。
ただ反省していない分けでは有りません。またこの11年被害者の事はわすれた事はありません。
でもこの無期懲役で私は、御遺族に生かされ「簡単に死なせない」と云うかもっと苦しめと云う事なのかと思う様になりました。
私は幸せな御家族を回復できない形で壊してしまい被害者の御家族の皆さんに大変、申し訳けなく思います。
いくら言葉を並べても被害者遺族には届かないでしょう。
なので生涯一刻一秒も亡くなった被害者のことを忘れずに事件に真摯に反省し、残された一生を使って改悛と更生の道を歩んで行くしか今は、ないと思っています。
この11年私は何度も考えました。
一刻一秒片時も忘れずに被害者を思う、そんな事で亡くなった方は生き返らないし御遺族の悲しみを和らげることもできません。
最初からそう自覚していましたが、できる限りの反省をしなければいけないと思ったんです。
懸命に頑張りましたが、夜眠りにつく最後の瞬間まで満足にできた日は一日もありませんでした。
きっと私の心が弱かったせいだと思います。
何とか被害者の方を思い続けてもふとした瞬間に心が離れて行ってしまいます。
それは運動中空を見上げた時だったりお風呂で体を洗っている時だったり食事についた小さなデザートを食べている時だったりしました。
ふらっと何か別の事が浮かんで気が付くと被害者の方ではなく他の事を考えてしまうのです。
心はひとつの事を思い続けることが出来ません。
ずっと反省を続けるのはすごく大変なことで私の様な人間にはとても出来ませんでした。
真摯な反省というのが酷く困難なことでどうしたら出来るのか、今も試している途中だということです。
私の反省などとても十分ではないし御遺族が極刑を求めるのも当然だと思いますが、改悛の気持ちがない訳けではありません。
私は、つまらない人間で取り返しのつかない残酷な行いをしてしまいました。
ごめんなさいと謝まっても取り返しはつきません。
プリズンライターズ・リポートVOL.2でA 140さんが言われた「本当の反省・償い・贖罪とは何なのか」
他の人はこの問題にどう向き合っているのだろうか?
と云う問いに私なりに考え、思うのは、 人それぞれ向き合い方が違うと思う
私は被害者のことをわすれずに思う事が反省に償いに贖罪に繋がると思っています。
それと社会貢献として使用済み切手をワクチンに変えると云う活動をしています。
これは世界の中にはワクチンも打つ事もできない子供も居る事を知り色々と調べた結果、日本キリスト教海外医療協力会に使用済み切手を送る様にしています。 あとは、報奨金で生活しているので日用品など必要な物を買って、あまったお金で切手を買い未使用の切手を送る事もあります。
ただ他人に言わせれば償いでも贖罪でもないただの自己満足でしかないと言われても、私は今、刑務所の中からでも出来る事をしているだけです
末尾になります。生命犯故に仮釈放なんて希望的観測です。
又矯正とは魂の再生であることを考えると、社会復帰の可能性がゼロに近い無期囚でも被害者意識に対して自己洞察を繰り返し、真摯な反省をすることが被害者への供養となり自分自身の精神治療にもなると考えています。
皆さんがより善い更生への道を歩めるよう心からお祈り致しております。
乱筆乱文にて失礼します
令和6年2月5日