囚われない人生を造ろう - かえるメイトの皆さんへの提言 -  

※ 「かえるメイト」とは、ほんにかえるプロジェクトの受刑者会員の名称です。

メイトの皆さん、こんにちは 

日頃、各刑務所で様々な規則により、なにかとストレスの多い受刑生活を送っていると思いますが、近頃はどのようにお過しでしょうか?今回、私から皆さんへ提案があります。最後まで読んでいただいて、後日意見や感想をいただけますと嬉しいです。 

私達受刑者は、皆囚われています。その文字のごとく四方を壁で囲まれて、その中に人が窮屈に閉じ込められている。身体の自由がききません。受刑者のことを囚人とも呼びますが、まさにそのとおり“とらわれびと”だと思います。では皆さんに質問です。『私達はいったい何によって囚われているのでしょうか?』その答えは簡単。 

『刑務所の壁や高い塀により、刑期により、法により』と、物理的にはそうなります。
でも...それだけなのでしょうか?もしもそれらが無くなれば、私達は本当に自由になれるのでしょうか?
私にはどうもそうは思えないのです。なぜならば、再び皆さんに質問します。
『あなたがもし出所できたら、何をしたいですか?』と。
すると、これも答えは簡単です。『うまい物や甘い物を腹いっぱい食べて、酒もあびるほど飲んで、ギャンブルをして、車やブランド品を買って、好きな場所へ旅行に行って、そして女も...等々』大半の人がそのように答えるでしょう。 (まあ、私はそうです)  

つまりは、今ここではできない事、長年したくてたまらなかった様々な行為を、心ゆくまで満喫したい、という事になるはずなのです。
でも、ここでもう一度重ねて質問します。『それではあなたは、そのような欲望を満たそうとする行為の数々を、いままで過去の人生において何回くらいしてきましたか?』と尋ねたいのです。
各自の年齢や境遇により、当然違いはあるでしょうが、これまでには皆さんそれこそ何百回、何千回、いや何万回と数えきれないほど、くり返してきた人もいるはずなのです。

しかし、どうでしょうか?そのような行為を何度も何度もくり返してきたのにもかかわらず、
『もう充分だ!俺にはもう必要は無い!』
『もう満足したから、これ以上はしなくていい!』という心境になることは、今まで決して無かったのではないでしょうか?
皆ひたすらに『もっと欲しい... もっとしたい...』と次の1回、もう1回を求め続けてきたはずなのです。
『それが人間というものなのだから、あたりまえだし仕方がないじゃないか!』と言う人もいるでしょう。
確かにそうかもしれません。
しかし、それにはあくまでも“程度”というものが必要となるのです。
過去をふり返ってよく考えてみれば、私達が犯罪を犯し、刑務所に来ることになってしまったそもそもの理由、大きな原因としてあげられる事。
それは私達が一般社会にいる時に、自分の欲望を満たし、それを過度に続けようとする為には絶対に必要となる“金”。
それをできるだけ多く手にする為には、一般社会のルール内で認められている仕事だけではまかなうことができずに、その行為がどんどんエスカレートしていって、ついには一線を越えて犯罪を犯してしまった、という人も多くいるのではないでしょうか?(ですから、私もそうです...) 

そして結局、刑務所の中に来てしまい、ようやく今になって過去の自分の犯した行為をふり返り、反省するにあたりつくづく思うことは、欲望を満足させ続けようとする自分の情動をただなすすべ無くエスカレートさせてしまった自分の愚かさ、そしてそのことの危険性に気づいてはいながらも、その行為を自分で制御することができなかった自分自身の思慮の浅さや意志の弱さ、そして今もなお変わらずに、その事ばかりを求め続け、その想いから抜け出せずにいる精神欲求。
そういった事に対して、何とも言えないむなしさと情けなさ、そして深いあきらめにも似た気持ち、いわゆる“諦観”というものをしみじみと感じてしまう人もいるのではないでしょうか。
つまりは、よくよく考えてみると...現在私達が囚われているのは、刑務所という物理的なものにだけではなく、つきつめれば私達自分自身の中にある様々な欲望、そしてそれに囚われ続けている自分の愚かさと執着心、そういったものこそが囚われの本質であると言えるのです。

そして、いろいろ考えた末にようやくその事に気づき、反省した人の中には、自分の今後の人生の為にも『何とかして自分を変えたい!』『今度こそ立ち直って更生したい!』と本気で考えている人もいると思います。
決して満たされることのない不毛なものを求め続けてしまう指向性、欲望への執着に囚われる自分自身の弱い精神性というものをしっかりと認識した上で、それらを抑制してもっと違う正しい方向へ意識や行動を改善させていくこと、そして自分の中でそれらに変わる何か新しい興味や価値観を見つけ創造していくことこそが、今後更生していく為の最良の方法である、と確信した人も多くいるはずなのです。

では具体的に言って、その為には私達はどうすれば良いのでしょうか?自分を新しく変えていく為には実際には何をして、何を求めていけば良いのでしょうか?現在刑務所という、行動を制限されている中にいる私達であっても、実行可能な事は何なのでしょうか? 
私はそんな私達にとって大きな手助けとなるもの、答えとなるものこそが『本』であり『読書をすること』『勉学をすること』ではないかと思っているのです。 
 私達の中には、子供の頃から読書や勉強が苦手で、今に到るまでほとんどしてはこなかったという人も多くいるはずです。

そして刑務所に来て、ようやく今になって初めてじっくりと本を読むきっかけを得た、という人も多くいるはずなのです。それならばせっかくのその機会を無駄にせず、今後の自分の為に大切に生かすべきだと思うのです。
ただ単に、自分が興味がある本を読んで楽しむだけではなく、時にはもっと様々なジャンルの本にも挑戦して読み始めてみるのはどうでしょうか?
そうすればそのような本を読み進めるうちに、私達は自分の中に未知なる事柄に対する新たな興味や関心というものが生まれてきたり、知的な事柄を知りたがる“知識欲”というものが芽ばえてくることに、ふと気づくことがあるはずです。

そうしたら次には、その小さなきっかけを大切にしてより学びを継続して深めていくことにより、その結果以前の自分にはなかったはずの新しい知識や知恵、また一般社会で役に立つ言語能力や教養、思考方法等々様々な事柄を学び得ることができるはずです。するとそうすることにより、過去の自分が行なっていたように貧しい知識や知恵の不足、いわゆる“無知”というものからくる低いレベルの誤った考え方や犯罪を犯してしまうような短絡的な行動をとるのではなく、今後は様々な知恵や教養に基づいて導き出された、思慮深い思考回路を経た正しい行動をとれるようになっていく。
これまでの自分の古い意識や精神傾向を変えて、自分自身で以前とは違う価値観を見つけ新たに創造していくことにもつながっていくのです。そして、ここで読書や勉学をしたことにより学び得た事柄は、現在の所内生活だけではなく、いずれ出所した後には一般社会においても日常生活の上で有効に役立ち、自分を助けてくれる有益なものとなり、そのことが今後の自分の人生をより良い方向へ導いてくれて、真の更生へとつながっていくことにもなるはずです。 

 
そしてもう一点、ここで読書や勉学をすることの効果としてあげられる事があります。それは今私達が日々感じている受刑生活による“ストレス”を緩和してくれる効果もあるということです。
現在刑務所にいて、身体の自由や行動が制限されていて様々な欲望を求めても何もできず、何の満足も得られずに苦しんでいる私達ではありますが、しかし、自分自身の頭の中、そこにだけは刑務官による監視も高い壁や塀も制限するものはいっさい無く、何をどう考えてもすべて自由なのです。
だから読書や勉学をすることによって自分の思うままに、どこまでも思索と探求と好奇心を好きなように広げていくことができる。いつでも自由で知的な無限の空間に没入することができる。
言わば“知恵の宇宙”を自分自身で造り上げることも可能になるのです。
そしてそのことは私達が日々感じている自己の拘禁的ストレスを忘れて、気分を解放させてくれる。自分で新たに発見した満たされた充実感を得ることにもなり、それを継続することによって、やがては何事にも囚われることのない本当に自由な人生を自分で造っていくことにもつながっていくものだと思うのです。 

 

従ってそう考えてみると、汪楠さんや庄子さんらPJスタッフの皆さん達が私達メイトに対して、様々なジャンルの本を提供してくれている活動の、その主な目的や本質的な意義も、まさにそのような理由によるものではないかと私には思えてくるのです。
つまりは、私達が今後なすべきことは、『一般社会への様々な欲望や執着を抑制してその代わりに本を活用して、刑務所の中にいるからこそ読書や勉学を始め継続していくことにより、自分の愚かさや無知を克服し知識や知恵を確得し、新たな知的な喜びを得て自由な解放感と充実感を体感し、自己改革と真の更生への道を歩んでいくこと』 

そうすることがPJが私達に期待している事であり、目標にしている事ではないかと私は思っているのです。だからこそ、私達にとってはとても貴重なこのかえるPJの活動が今後も長く継続していくように、またインターネット等を通して活動の内容が広く一般社会にも拡散して、できるだけ多くの人達に興味や関心を持ってもらい、そして暖かい支援を受けることができてより活動が発展していけるように、私達メイトも一人一人は微力ながらも少しでもPJのプラスになるように、できるだけ寄付をする等して皆で協力していくことが大切だと思っています。 

 
以上が私からの提案です。何だかえらそうな事を長々と書いてしまいましたが、私も皆さんとまったく同じ立場、環境にいますし(うまいもん食いて~)今後もPJの活動を通してメイトの皆さんと交流し、供に学び自分を向上させて、そして互いに更生への道を歩むことができて、やがては真の囚われない人生を造っていければ本当に嬉しい事だと思っています。 

今回は私の屁理屈の多い文章を最後まで読んでいただいてありがとうございました。 


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